モイゼス・アルー
PIT(1990)-MON(1990-1996)-FLA(1997)-HOU(1998-2001)-CHC(2002-2004)-SF(2005-2006)-NYM(2007-2008)
通算成績 1942試合 .303 2134安打 332本塁打 1287打点 106盗塁 fWAR47.7
獲得タイトル:シルバースラッガー賞2回
2004年 155試合 .293 176安打 39本塁打 106打点 3盗塁 fWAR5.9
バートマン事件の被害者
父は通算2101安打を放ち、監督しては1033勝をあげたフェリペ・アルー。叔父のマティ・アルーとヘスス・アルーもそれぞれ1000安打を放つなど、野球一家に生まれ育ったサラブレット。
全盛期はアストロズ時代だが、キャリアで最もフォーカスされるのはカブスでプレーしていた2003年のある日の出来事。
同年のカブスは地区優勝を果たし、ナ・リーグのチャンピオンシップに駒を進め、あと1勝でワールドシリーズ進出のところまで迫ったところで事件は起こった。
3対0でリードしている8回、ワンナウト2塁の場面でルイス・カスティーヨが放った三塁客席ギリギリのファウルボールをアルーが捕球しようとしたところ、客席の男が身を乗り出してボールにタッチ。
ここでアウトにできなかったことが裏目に出て、そのイニングでカブスは8失点。チームのワールドシリーズ進出の夢も水泡に帰した。
後にアルーのキャッチを妨害した男の名前がスティーブ・バートマンであることがリークされ、世間からは大バッシング。なかなかカブスがワールドシリーズに進めなかったことも相まって「バートマン事件」と語り継がれることになった。
今でもバートマン事件は度々蒸し返され、その度にファンに捕球を妨害され、激おこのアルーの姿も流されている。
アルー本人に話題を戻すと、キャリア通算で3割・2000本安打・300本塁打のマイルストーンを達成した球界屈指の強打者で、アストロズ時代の2000年には打率.355と大暴れ。
カブス時代はサミー・ソーサと共に強力なクリーンナップを形成し、2004年には38歳にしてキャリアハイとなる39本塁打を記録。
晩年のメッツ時代は規定こそは到達出来なかったが、2年連続で打率3割と最後まで衰え知らずのバッティングを披露し続けた。
査定に関して
プルヒッター
2004年に放った本塁打の方向は
・ライト方向:1本
・センター方向:12本
・レフト方向:26本
と引っ張り傾向が強い。
初球◯
初球打率は.420。初球本塁打は14本。
Nishiのひとりごと
カブスファンにとっての悪夢「バートマン事件」の動画はこちらから