ジョー・ディマジオ
NYY(1936-1942,1946-1951)
通算成績 1736試合 .325 2214安打 361本塁打 1537打点 30盗塁 fWAR82.6
獲得タイトル:MVP3回、首位打者2回、本塁打王2回、打点王2回
1941年 139試合 .357 193安打 30本塁打 125打点 4盗塁 fWAR9.7
ニューヨークの貴公子
MLBにはバリー・ボンズのシーズン73本塁打やイチローのシーズン262安打など更新は不可能とされる“アンブレイカブルレコード”がいくつも存在するが、その中で最も更新が不可能とされているのが、今回作成したディマジオが1941年に打ち立てた56試合連続安打だ。
ディマジオはルーキーイヤーから打率.323・29本塁打と巧打とパワーを両立させた好打者として知られていたが、この56試合連続安打で全米中にその名が知れ渡り、スーパースターの地位を確固たるものにした。
全盛期の1943年から3年間の従軍生活を送ったことと、引退が36歳と早かったため通算成績はそれほど伸びなかったが、もし戦争がなければ2800安打・450本塁打は達成していたと言われている。
引退後には9ヶ月程度であったものの、マリリン・モンローと婚約。モンローが1962年に急死してからも生涯独身を貫き続けたという。
査定に関して
肩B
ディマジオは通算105補殺、今回作成した1941年も9補殺とセンターをメインに守っていた選手にしては補殺が多い。当初は肩Aしようか悩んだが、海外サイトを見たところ強肩の記述は見られなかったのでBに留めた。
守備A
ディマジオの守備は「優雅」と言われ、守備範囲も非常に広かった。伝説の強打者ハンク・グリーンバーグが「ヤンキース相手にヒットを打つ方法はジョー・ディマジオがいないとこに打つこと」と語ったという逸話も残っている。
広角打法
ディマジオがプレーした旧ヤンキー・スタジアムは左中間が広く、右打者にとっては厳しい球場。そのためディマジオはセンター方向に強い打球を飛ばすことを意識し、ヤンキー・スタジアムで長打を量産したと言われている。
ちなみにヤンキー・スタジアム以外の球場でプレーしていた場合は、キャリア通算の本塁打が100本近く伸びていたとのこと。
リベンジ
得能の名前の響き自体はディマジオっぽくないが、つけた理由はその効果ある。リベンジは前の打席で抑えられると打撃能力があがるという得能で、この効果は連続56試合でヒットを打った(どれだけ抑えられても、最終回までには必ずヒットを打った)ディマジオの偉業にピッタリである。
粘り打ち
1941年はわずか13三振とディマジオは極端に三振が少ない。