セシル・フィルダー
TOR(1985-1988)-阪神(1989)-DET(1990-1996)-NYY(1996-1997)-ANA(1998)-CLE(1998)
MLB通算成績 1470試合 .255 1313安打 319本塁打 1008打点 2盗塁 fWAR19.0
獲得タイトル:本塁打王2回、打点王3回、シルバースラッガー賞2回、ベーブ・ルース賞1回
1990年 159試合 .277 159安打 51本塁打 132打点 fWAR6.5
荒熊
ずんぐりとした太っちょボディと豪快なスイングから阪神タイガース時代は「荒熊」の名で親しまれたスラッガー。
阪神移籍前の1987年には82試合で14本塁打を放つなどパワーの鱗片を見せてはいたが、ファースト候補に後に殿堂入りを果たしたフレッド・マグリフがいたためレギュラー定着ならず。
1989年に阪神に移籍すると苦手としていた変化球への対応を克服し、106試合で38本塁打と大暴れ。バースの再来として翌年以降も阪神の4番を担うことを期待されたが、オフの契約交渉がまとまらずデトロイトのタイガースに移籍。
メジャー復帰1年目となる1990年はリーグ最多の51本塁打、同最多の132打点をマークし、二冠王に。フィルダーはNPB経由で才能が大きく開花したメジャーリーガーのパイオニア的存在となった。
1991年以降も安定して30本塁打以上をマークし、1996年には途中加入したヤンキースでワールドシリーズ制覇を経験している。
息子のプリンス・フィルダーもセシル同様長距離砲としてメジャーで大活躍。
セシルは当初、プリンス・フィルダーの代理人を務めていたが、ギャンブルで背負ってしまった借金の肩代わりにプリンスの契約金を横領していたことが発覚し、一時は絶縁状態に陥ってしまった。
査定に関して
対左A
阪神時代を知る方は「セシル・フィルダーに対左A⁉︎」となると思いますが、1990年の左右別成績は
対右投手:打率.235・26本塁打・OPS.803
対左投手:打率.371・25本塁打・OPS1.333
と左投手に圧倒的強さを誇っていた。
対変化球◯
フィルダーの覚醒の背景には、阪神時代にスライダーなどの変化球を克服したこと。数字上でもVS Finesseで打率.321とメジャーでも変化球ピッチャーに強かったことがよく分かる。
関連選手:息子
プリンス・フィルダー