ダンテ・ビシェット
CAL(1988-1990)-MIL(1991-1992)-COL(1993-1999)-CIN(2000)-BOS(2000-2001)
通算成績 1704試合 .299 1906安打 274本塁打 1141打点 73盗塁 fWAR8.9
獲得タイトル:本塁打王1回、打点王1回、シルバースラッガー賞1回
1995年 139試合 .340 197安打 40本塁打 128打点 13盗塁 fWAR1.8
ビシェットファミリー
コロラド・ロッキーズ創設時の中心選手。
ブルワーズ時代まではパッとしない中距離ヒッターだったが、ロッキーズに加入してからは地の利*1を活かし、強打者に変身。
ストライキ明けの1995年には三冠王も射程圏内に入ったほどの好成績を残し、本塁打王と打点王の二冠王に輝いた。さらにMVP争いではバリー・ラーキンに次ぐ2位にノミネートされた。
続く1996年には打率.313・31本塁打・31盗塁で30-30、NPBでいうトリプルスリーも達成している。
ロッキーズ時代はラリー・ウォーカーやアンドレス・ガララーガと共にチームの中軸を担い、恐怖のクリーンナップとして恐れられた。
ダンテ・ビシェットはぱっと見の打撃成績とWARの乖離が非常に大きいことでも有名。
通算成績を見ると最低でもfWAR20以上はあっても良さそうだが、わずか8.9。rWARに至っては5.7とキャリアのWARがDH専の大谷の1年分に満たないレベル。
MVP争いを繰り広げた1995年ですらfWAR1.8、rWAR1.2とレギュラーに毛が生えたようなレベル。
なぜ、こんなことが起こってしまったかというと、
・球場補正による大幅なマイナス
・選球眼が皆無で出塁率が低い
・守備が晩年ラミちゃんレベル
という3つの原因が挙げられている。
ビシェットがプレーしたクアーズ・フィールドはパークファクターがMLBでも飛び抜けており、WARの計算時に大幅なマイナスがかかる。また、ビシェットはキャリアを通してのホーム打率が.328に対し、アウェイでは.268と敵地で数字を大きく落としてしまったのもマイナス要素となってしまった。
次に選球眼だが、ビシェットは初球からガンガン振っていくスタイルでフォアボールをあまり選ばない。そのため通算での出塁率は.336と打率とあまり差がなく、1995年も22四球しか選んでいなかった。
最後に守備だが、ビシェットは1992年に膝を痛めてから思い切ったランニングができず、地蔵状態。当時のナ・リーグは指名打者がなかったため、ビシェットを外野で起用せざるを得ず、毎年のようにDefensive WARでマイナスの数字を積み上げていった。
ちなみにビシェットがプレーしていた1990年代の守備指標にTZ(トータルゾーン)というものがあり、ビシェットの通算TZはマイナス91と惨憺たる数字だった。
査定に関して
クアーズ補正
ビシェットのホーム・アウェイ別成績を見ると
ホーム:打率.378・31本塁打
アウェイ:打率.300・9本塁打
とクアーズの恩恵をかなり受けていたことが分かる。そのため、普段の査定からミート・パワーをそれぞれマイナス5補正しています。
固め打ち
1995年は21回の猛打賞を記録。1試合4安打も4回記録している。
初球◯
初球打率は驚異の.505!
サヨナラ男
1995年4月26日の開幕戦でメッツ相手にサヨナラ本塁打を放っている。
Nishiのこぼれ話
ビシェットの次男、ボー・ビシェットはトロント・ブルージェイズのショートとしてプレー中。長男のダンテ・ビシェットJr.も2011年にヤンキースから全体51位で指名されたが、メジャーには到達出来なかった。
関連選手:息子
ボー・ビシェット
*1:ロッキーズの本拠地マイル・ハイ・フィールドとクアーズ・フィールドは海抜1600メートルの高地に位置し、打球が飛びやすい打者にとって天国なような球場