ランディ・ジョンソン
MON(1988-1989)–SEA(1989-1998)–HOU(1998)–ARI(1999-2004)–NYY(2005-2006)–ARI(2007-2008)–SF(2009)
通算成績 618試合 303勝166敗 防御率3.29 4875奪三振 fWAR110.5
獲得タイトル:サイ・ヤング賞5回、最多勝利1回、最優秀防御率4回、最多奪三振9回
2002年 35試合 24勝5敗 防御率2.32 334奪三振 fWAR8.1
ビッグ・ユニット
身長2メートル8センチの長身から最速164キロ、平均150超の豪速球と140キロ台のスピードで鋭く曲がるハードスライダーを武器に1990年代後半から2000年代前半にかけて敵なしのピッチングを続けてきたサウスポー。
通算勝利数303はMLB歴代22位。サウスポーに限れば、ウォーレン・スパーン、スティーブ・カールトン、エディ・プランク、トム・グラビンに次ぐ5番目の勝利数。
また、球界屈指のドクターKとしても知られており、
・MLB歴代2位の4875奪三振
・MLB歴代3位の奪三振率(1500イニング以上)10.61
・サウスポーとしては歴代1位のシーズン奪三振率(規定投球回以上)13.4
・9回までに20奪三振*1
など数々のレコードを樹立している。
ランディ・ジョンソンはダイヤモンドバックスに加入した1999年から4シーズン連続でサイ・ヤング賞を受賞。ダイヤモンドバックス1年目は36歳と普通のピッチャーであれば衰えが顕著になる年齢だが、ランディ・ジョンソンには無縁の話。
この時期のランディ・ジョンソンはコントロールに大幅な改善が見られ、マリナーズ時代のようにフォアボールで自滅することはほとんどなく、また速球のスピードもコンスタントに150キロ後半を計測。2004年には歴代最高齢の40歳で完全試合を成し遂げている。
さすがに42歳を迎えたヤンキース時代は衰えが目立ち、絶対的エースのピッチングとはいかなかったが、それでも2年連続で200イニング以上を投げきるスタミナを保持していた。
ランディ・ジョンソンが2000年代に積み上げたrWAR51.5は2000年代にプレーした全投手の中で1位の数字。各世代別のベストメンバーを決める「All Decade Team」の2000年代部門ではペドロ・マルティネスとともにどのメディアでも先発投手のエース格として選ばれている。
球種はツーシーム、スライダー、スラーブ、SFF。
査定に関して
スライダー
ランディ・ジョンソンのスライダーは米メディアではハードスライダーと言われており、パワプロではHスライダーをつける方が多いが、パワプロのHスライダーをつけると150キロ中盤のスライダーと、ランディ・ジョンソンが投げていたボールとはかけ離れたものになってしまうため普通のスライダーで再現。
フライボールピッチャー
アリゾナダイヤモンドバックス時代は2001年を除けば、毎年20本塁打以上のペースで打たれている。今回作成した2002年も26被弾。被本塁打率は0.9と自分が一発を検討するラインの被本塁打率1.2を下回っていたため、赤青得のフライボールピッチャーで代用。
その他の青特に関してはパワプロ2023で作成したランディ・ジョンソンの記事にて言及しているので、気になる方はこちらから
*1:2001年5月8日のレッズ戦で記録。本来であればマックス・シャーザーらに並ぶ1試合における奪三振数の1位記録だが、延長戦に突入したため参考記録扱い