カート・シリング
BAL(1988-1990)-HOU(1991)-PHI(1992-2000)-ARI(2000-2003)-BOS(2004-2007)
通算成績 569登板 216勝146敗 防御率3.46 3116奪三振 22セーブ fWAR79.8
獲得タイトル:最多勝利2回、最多奪三振2回、ロベルト・クレメンテ賞1回
2002年 36登板 23勝7敗 防御率3.23 316奪三振 fWAR9.3
世界一請負人
ポストシーズンで10勝以上挙げた投手としては歴代1位の勝率.846(11勝2敗)を誇る世界一請負人。
フィリーズ時代初期までは「パーティー・アニマル」という残念なニックネームの通り、力任せに投げる脳筋ピッチャーだったが、30代に入ってから独自の野手分析に基づくシフトを指示する頭脳派投手に変貌。
2000年に創設3年目のダイヤモンドバックスに加入。2001年にはリーグ最多の22勝をマークし、ランディ・ジョンソンとのダブルエース体制でチームを牽引。ポストシーズンでは6登板で防御率1.12と圧巻のピッチングでダイヤモンドバックスのワールドシリーズ制覇に大貢献した。
2002年にはランディ・ジョンソンと揃ってシーズン20勝、300奪三振をマーク。同年はランディ・ジョンソンが投手三冠に輝いたためサイ・ヤング賞を惜しくも逃す結果となったが、fWARではランディ・ジョンソンを上回る9.3をマークしている。
2004年からは敬愛するフランコーナ監督率いるレッドソックスでプレーし、リーグトップの21勝をマーク。ポストシーズンでは足首の手術の影響で血を流しながらも力投を続け、レッドソックスの1918年以来のワールドシリーズ制覇の原動力となった。
引退後はゲーム会社を立ち上げるも、経営者としての資金繰りの才能はなかったようで、2012年に会社は倒産。また、長年の噛みタバコがたたってか口腔ガンを発症し、壮絶な闘病生活を強いられることになった*1。
シリングはrWAR、fWAR共に70オーバー、歴代17位(当時は15位)の通算3116奪三振、MLB歴代1位のK/BB4.38と圧巻の成績を残しながらも殿堂入りは叶わず。
記者からの支持を得られなかった理由としてはやたらと政治的主張が激しいことや、本人自身が自らを投票対象から外してくれと訴えたことが理由としてあげられている。
個人的には確かに思想は強めのタイプかもしれないが、ステロイドなどはいっさい使用しておらず、通算成績や残した実績からもベテランズ枠で殿堂入りすべき選手であると思っている。
査定に関して
力配分
シリングは最速156キロと一見速球派投手だが、状況に合わせて140キロ台前半の速球に切り替え、長いイニングを投げるための調整をしていた模様。
関連選手:最強のWエース
ランディ・ジョンソン
*1:現在は寛解