ドワイト・グッデン
NYM(1984-1994)-NYY(1996-1997)-CLE(1998-1999)-HOU(2000)-TB(2000)-NYY(2000)
通算成績 430登板 194勝112敗 防御率3.51 2293奪三振 3セーブ 2ホールド fWAR56.7
獲得タイトル:サイ・ヤング賞1回、最多勝1回、最多奪三振2回、最優秀防御率1回、シルバースラッガー賞1回、新人王
1985年 35登板 24勝4敗 防御率1.53 268奪三振 fWAR8.9
Dr.K
「ライブボール以降の1シーズン限定で歴代最強の先発は誰?」という論争で2000年のペドロ・マルティネスと1968年のボブ・ギブソンに肩を並べる勢いで名前が挙がるのが1985年のドワイト・グッデン。
グッデンは最速100マイルの豪速球と鋭く曲がるカーブを武器にルーキーイヤーにも関わらずリーグ最多の276奪三振をマーク。奪三振率は当時の最高記録*1を更新する11.39と驚異的な水準で、ドクターKのニックネームはすぐさまファンに定着した。
続く2年の1985年はピッチングにさらなる磨きがかかり、難攻不落のエースとして君臨。特に8月末から10月までの7登板で49イニング無失点という支配的な投球もあり、防御率は68年のボブ・ギブソン(1.12)に次ぐ1.53と圧巻の成績を記録。
同年は投手三冠、サイ・ヤング賞と投手タイトルを総なめ。防御率ベースのrWARでは12.2と異次元の数字を叩き出した。このrWAR12.2という数字はライブボール以降の先発投手の中では歴代最高の数字である。
メジャー2年目までの段階では歴代最高の投手になろうかというレベルだったが、翌年以降は速球のスピードが落ち始め、それに伴い支配力も大幅ダウン。
また、グッデンはコカインの常習犯でも知られ、1995年にはシーズン全試合の出場停止処分に。また、この頃はドラッグの影響か精神も不安定。妻のモニカ氏は拳銃自殺を試みようとしている姿を見たとメディアに語っている。
キャリア晩年は球速の低下をスプリット系のボール習得で補おうとするも効果は薄く、結果を残せずチームを毎年のように転々。2001年のスプリングトレーニングでもメジャー昇格を果たせず、200勝を目前にして現役引退を発表した。
グッデンは引退後もコカイン中毒に苦しみ、何度も警察のお世話になっている模様。
球種はドロップカーブ、スローカーブ。
書籍Guide to Pichersによると2種類のカーブを巧みに使い分けていたとのこと。
査定に関して
対ピンチA
グッデンは非得点圏被打率が.213、被OPS.567であるのに対して、得点圏の場面では被打率.143、被OPS.387とピンチの場面に非常に強い。
怪物球威
グッデンの速球のスピードは当時では異次元のスピードで、まさにモンスター級。85年は圧倒的な球威から打球を芯で捉えるのも困難で、被打率はわずか.201にとどまった。
ドクターK
85年の奪三振率は8.7と金特レベルの水準にないものの、金特の由来になった功績を考慮して付与。前年の84年にMLB新記録となる奪三振率を記録しているのでまあ良いでしょう笑。
尻上がり
イニング別防御率を見ると8回が1.08、9回に至っては0.50と試合終盤でもほとんど打たれない。
調子安定
同年は35登板中33回もクオリティスタートを記録。QS率94%は歴代最高記録となっている。
*1:1965年にサム・マクドウェルが記録した10.71