ブルース・スーター
CHC(1976-1980)-STL(1981-1984)-ATL(1985-1986,1988)
通算成績 661登板 68勝71敗 防御率2.83 861奪三振 300セーブ fWAR19.2
獲得タイトル:サイ・ヤング賞1回、最多セーブ4回
1984年 71登板 5勝7敗 防御率1.54 77奪三振 45セーブ fWAR1.5
元祖にして最高のスプリッターの使い手
ローリー・フィンガーズとともにクローザーの草分け的存在として知られる名投手。
ブルース・スーターは今では一般的なスプリット・フィンガー・ファストボール(SFF)をメジャーに広めた投手としても有名。
スーターはカブス時代の72年に肩の故障で球速が低下。それを補う形で当時の投手コーチ、フレッド・マーティンからスプリットを学ぶとすぐさまマスター。
速球とほとんど変わらない球速で大きく落ちる魔球を武器にクローザーとして大活躍。カブス時代の1979年にはリーグ最多の37セーブをあげ、サイ・ヤング賞のタイトルを獲得。
カーディナルス時代の84年にはダン・クイゼンベリーが樹立した当時のシーズン記録(45セーブ)を塗り替える47セーブをマーク。オフにはFAで当時のリリーフとしては異例の6年480万ドルの大型契約でブレーブスに移籍。
ブレーブス時代は右肩の故障のためほとんど投げられず、不良債権に終わってしまったが、引退時点で積み上げていた300セーブは史上3位の大記録。
殿堂入り投票では落選が続いたが、2006年に13回目の投票で見事殿堂入り。
球種はスライダー、SFF。
査定に関して
驚異の切れ味
スーターはスプリットのおかげで殿堂入りできたと言っても過言ではなく、書籍『Guide to Pitchers』では最高のフォーク(スプリット)としてスーターのスプリットが紹介されている。
緊急登板◯・回またぎ◯
スミスの記事でも言及したが、スーターが活躍していた70〜80年代はクローザーといえど1イニング限定ではなく、むしろファイアマンとしてピンチの場面で登板し、最後まで投げ切るのが当たり前。