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パワプロ2025 アンドレ・ドーソン 1982年 パワナンバー

アンドレ・ドーソン

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MON(1976-1986)-CHC(1987-1992)-BOS(1993-1994)-FLA(1995-1996)

 

通算成績 2627試合 .279 2774安打 438本塁打 1591打点 314盗塁 fWAR59.5

獲得タイトル:MVP1回、本塁打王1回、打点王1回、シルバースラッガー賞4回、ゴールドグラブ賞8回、新人王

 

1982年 148試合 .301 183安打 23本塁打 83打点 39盗塁 fWAR7.3

 

ホーク

ドーソンはパンチ力とスピードをハイレベルで兼ね備えた外野手で、モントリオール・エクスポズ時代には20−20を5回も達成。

 

また、俊足と強肩を活かしたセンター守備も定評があり、1980年からゴールドグラブ賞を6シーズン連続で受賞。

 

ドーソンはいわゆる5ツールプレイヤーの先駆け的存在であり、1990年には当時としては3人目の300−300を達成。ドーソンはその後も本塁打を量産し、引退時点でウィリー・メイズに続く、2人目の400−300を達成している。

 

エクスポズ時代は同じく俊足で知られたティム・レインズとのスーパーカーコンビでチームを牽引。1981年にはチームを初の地区優勝に導いたことが評価され、MVP投票で2位にノミネートされた。

 

ドーソンは86年オフにFAになったが、当時のオーナー勢が共謀して有力選手への契約を渋ったため、契約は難航。当初はNPB入りも考えたようだが、3月になってカブスと50万ドルの格安契約を結び、MLBに残った。

 

カブス時代はエクスポズ時代に痛めた膝の状態を考慮して、ライトでプレー。同年からパワーヒッター路線に転向し、リーグ最多の49本塁打・137打点で二冠王に輝き、オフにはMVPにも選ばれた。

 

ちなみに同年のカブスはドーソンの奮闘空しく最下位に沈んでおり、最下位のチームからMVPを輩出した最初の事例となった。

 

ドーソンは2010年に有資格9年目で殿堂入りを実現。殿堂入りのレリーフにはエクスポズのキャップが描かれたが、前述の通り、ドーソンとエクスポズの関係はあまり良くはなく、本人はカブスの選手として選ばれたかったと不満を漏らしている。

 

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