デール・マーフィー
ATL(1976-1990)-PHI(1990-1992)-COL(1993)
通算成績 2180試合 .265 2111安打 398本塁打 1266打点 161盗塁 fWAR44.3
獲得タイトル:MVP2回、本塁打王2回、打点王2回、シルバースラッガー賞4回、ゴールドグラブ賞5回、ルー・ゲーリック賞1回、ロベルト・クレメンテ賞1回
1987年 159試合 .295 167安打 44本塁打 105打点 16盗塁 fWAR7.1
Murph
1982年から2シーズン続けてMVPに輝いた80年代最高のスラッガーのひとり。
マーフィーは1976年にキャッチャーとしてメジャーデビュー。その後、ファーストなどを経て80年にセンターに転向すると、33本塁打と大ブレイク。
マーフィーの全盛期はなんといっても82年から87年までの6シーズン。
この期間は平均で36.3本塁打と安定感抜群。また、83年には打率.302・36本塁打・30盗塁を記録し、NPB風にいうトリプルスリーを達成している。
31歳を迎えた87年シーズン終了時点でマーフィーは310本塁打を記録。
このまま行けば殿堂入りや通算500本塁打のマイルストーンにも手が届くと期待されていたが、1991年以降は膝の故障の影響で満足にプレーできず、93年に400本塁打まであと2本のところで現役引退を表明した。
マーフィーを殿堂入りさせるべきか否かに関しては、有識者の中でもかなり意見が割れていたが、15回目の投票となる2013年も得票率18.9%に留まり、リストから外れてしまった。
マーフィーの通算成績やWARは確かに殿堂入りラインには届いていないが、マーフィーはステロイド使用に警鐘を鳴らしてきたクリーンな選手の代表格であり、また、現役時代もスキャンダルとは無縁のジェントルマンとして知られており、ネットではそうした部分も評価してベテランズ枠での殿堂入りを支持する記者の記事が散見される。
ちなみにマーフィーは敬虔なキリスト教徒であり、引退後はLDS教会のボストン支部の会長を務めていた。
査定に関して
肩A・送球B
マーフィーは元キャッチャーだったことからも想像できるように肩が非常に強く、キャリアを通してリーグ最多補殺を2度記録。ライトにコンバートされた87年も14補殺を記録している。
守備B
マーフィーはゴールドグラブ賞の常連であるが、センターのトータルゾーンは通算でマイナス40とかなり低い。一方で、87年にコンバートしたライトでは同年から3シーズン連続でプラス10以上をマークしており、今回は一般的に上手いとされるラインのBにとどめた。
威圧感
1987年はリーグ最多の29敬遠。