ジム・パーマー
BAL(1965-1984)
通算成績 558登板 268勝152敗 防御率2.86 2212奪三振 4セーブ fWAR56.6
獲得タイトル:サイ・ヤング賞3回、最多勝利3回、最優秀防御率2回、ゴールドグラブ賞4回
1975年 39登板 23勝11敗 防御率2.09 193奪三振 fWAR6.9
ボルチモアの貴公子
オリオールズのフランチャイズプレイヤーとして球団記録となる268勝を挙げた70年代屈指の先発右腕。
全盛期の1970年代は毎年のように40登板近くをこなし、20勝以上を8回も記録。70年代は合計で186勝を挙げており、これはこの期間での最多記録。
また、70年代にはサイ・ヤング賞にも3度輝いており、ア・リーグのNo.1ピッチャーといっても過言ではないだろう。
パーマーはオリオールズのエースとして66年、70年、83年と3つの異なるディケイドでワールドシリーズに先発し、白星を挙げた唯一のピッチャーであり、オリオールズの3度の世界一に大貢献したことでも知られている。
パーマーはオリオールズにとって最高のピッチャーの一人であり、現役を引退した翌年の85年には背番号22がチームの永久欠番に指定。
また、1990年には有資格1年目で得票率92.6%と圧倒的な支持を受け、殿堂入りを果たしている。
ジム・パーマーの通算防御率2.85は、当時2000イニング以上投げたピッチャーとしてはホイト・ウィルヘルム(2.52)、ホワイティ・フォード(2.75)、サンディ・コーファックス(2.76)に次ぐ4位*1の数字であり、この点が大きく評価されたと考えられる。
パーマーは現役引退後、解説として活躍していたが、殿堂入りの翌年、91年に現役復帰を宣言。
復帰のためマイアミ大学でトレーニングを重ねたが、残念ながら全盛期は95マイル超を記録していた速球のスピードは85マイルを出すのがやっとのレベルで現役復帰プロジェクトは失敗に終わった。
球種はスライダー、スローカーブ、チェンジアップ。
査定に関して
逃げ球
パーマーのもつ珍しい記録として、キャリアを通して満塁本塁打を打たれたことがないというものがある。また、2者連続で被弾ということもないらしい。
立ち上がり◯
75年は初回から3イニング目までの防御率が1.74と立ち上がりは◎。
Nishiのこぼれ話
パーマーは端正な顔立ちでも知られ、現役時代には下着モデルを務めたこともあるとか。
*1:現在は、カーショウが防御率2.50でトップに立っているため、史上5位