バート・ブライレブン
MIN(1970-1976)-TEX(1976-1977)-PIT(1978-1980)-CLE(1981-1985)-MIN(1985-1988)-CAL(1989-1992)
通算成績 692登板 287勝250敗 防御率3.31 3701奪三振 fWAR102.9
獲得タイトル:最多奪三振1回、カムバック賞1回
1973年 40登板 20勝17敗 防御率2.52 258奪三振 fWAR10.8
カーブボールの魔術師
カーブボールの魔術師の二つ名の通り、変化とスピードの異なる3種類のカーブを巧みに投げ分け打者を翻弄し続けた先発右腕。
ブライレブンは1970年代から20年にわたってトップクラスの成績を残してきた好投手。特に全盛期の70年代は防御率2点台のシーズンが6回と安定感も抜群だった。
一方で、タイトルにはなかなか恵まれず、キャリアハイの成績を残した1973年は同年のサイ・ヤング賞投票では、サイ・ヤング賞投手ジム・パーマーと比べても遜色のない成績を残したにも関わらず、ツインズが最下位に沈んだことが災いし、まさかの7位。
1980年代に入ると速球のスピードこそは遅くなったが、新たにレパートリーに加えたスローカーブが効果的に決まり、84年にはキャリアで2番目に多い19勝をマーク。
また、イニングイーターとしての性能も色褪せず、1985年にはリーグ最多の293.2イニング、24完投を記録。投手分業制が進んだことで、その後ブライレブンのこの数字を超えるピッチャーは現れず、ある意味でブライレブンが最後の先発完投型のピッチャーのひとりとなった。
ブライレブンは300勝にこそ手が届かなかったが、現役引退時点で歴代22位の287勝、歴代3位の3701奪三振と一見すると有資格1年目で殿堂入り、遅くとも3年目には殿堂入り当確の成績を残していたが、得票は伸びず、殿堂入りできたのは有資格14年目になってから。
ブライレブンがなかなか殿堂入り出来なかった背景には、ブライレブンが記者からあまり好かれていなかったことと、通算で250敗を喫していることがあげられている。
なお、ブライレブンはセイバー的には歴代最高クラスのピッチャー。fWARは100オーバー、rWARでも全投手中13位の94.5とめちゃくちゃ高い。また、イニングイーターとして優秀と前述したが、通算のイニング数は4970であり、これは歴代14位の大記録。
ブライレブンが殿堂入りした2011年はちょうど記者たちの間でWARの概念が広まった時期で、それも殿堂入りの後押しになったと考えられる。
ちなみにブライレブンはオランダ生まれの選手として殿堂入りを果たしたひとり目のメジャーリーガーであり、WBCでは母国オランダの投手コーチとして活躍している。
球種はパワーカーブ、ドロップカーブ、チェンジアップ。
ブライレブンのスピードの出るハードカーブはパワーカーブで代用。
査定に関して
フライボールピッチャー
ブライレブンはフライボールピッチャーとして知られ、キャリアを通して430本の本塁打を献上。
これは現役引退時点では歴代1位の数字であり、現在はジェイミー・モイヤーに次ぐ数字。
また、1986年にはMLBシーズン記録の50被本塁打という不名誉な記録も樹立してしまっている。