NishiのパワプロMLB査定ブログ

パワプロ2024で作ったMLB選手を公開していきます。

パワプロ2025 ゲイロード・ペリー 1972年 パワナンバー

ゲイロード・ペリー

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SF(1962-1971)-CLE(1972-1975)-TEX(1975-1977)-SD(1978-1979)-TEX(1980)-NYY(1980)-ATL(1981)-SEA(1982-1983)-KC(1983)

 

通算成績 777登板 314勝265敗 防御率3.11 3534奪三振 11セーブ fWAR100.1

獲得タイトル:サイ・ヤング賞2回、最多勝利3回

 

1972年 41登板 24勝16敗 防御率1.92 234奪三振 fWAR8.1

 

スピットボールの使い手

MLBでは近年、トレバー・バウアーがゲリット・コールら名だたる投手がスパイダータックと呼ばれる粘着物をつけ、回転数を上げていると問題提起し、話題になったように、粘着物をボールにつけるのはルール違反。

 

そんな不正投球を極め、一周回って代名詞になったのが今回作成したゲイロード・ペリーだ。

 

ペリーはジャイアンツ時代の64年にボールに唾などの粘着物をつけ、不規則に曲がる魔球スピットボールを使い始めると投球内容が一気によくなり、フアン・マリシャルに肩を並べるジャイアンツのエース格に急成長。

 

1967年にはルール改定でピッチャーは口に手を当て、ボールに唾をつける行為を禁止されたが、ペリーはそのルール変更を嘲笑うかのようにワセリンやヘアーワックスを体の至るところにつけ、不正投球を継続。

 

ペリーは魔球スピットボールを武器に70年代もエースとして活躍。特にインディアンズ時代の72年にはリーグトップ24勝、リーグ2位の防御率1.92を記録し、オフにはサイ・ヤング賞を初受賞。

 

ペリーの不正投球疑惑には敵チームの監督や審判も警戒していたが、あまりにも自然なそぶりで髪や髭についたワセリンなどをつけるため、決定的な証拠はつかめずにいた。

 

そんな中、73年オフにペリーは『私とスピットボール』という本を出し、どのように不正投球を行なってきたのか、そのやり方を暴露。74年開幕前にはゲイロードルールと呼ばれる、不正投球疑惑があった場合、2度目の違反で退場にできるという新ルールが制定された。

 

ルール変更で成績を落とすと思われたが、78年にはリーグ最多の21勝をあげ、2度目のサイ・ヤング賞に輝くなど、その影響を微塵も感じさせないピッチングを継続。

 

ペリーは「スピットボールを使わずとも全試合投げられたが、相手打者にスピットボールが来ると警戒させるために意図的にワセリンのついていないグローブに触るなど手の込んだフェイントをしていた」と話すように、暴露本を出した頃には、そこまでスピットボールに頼っておらず、実際にはスライダーやシンカーなどスピットボール以外の球種も優秀だった。

 

ちなみにペリーは引退後、自身が使用していたワセリンを販売し、ちょっとした話題になった。

 

球種はHスライダー、カーブ、スピットボール、Hシンカー。

ペリーの代名詞であるスピットボールはナックルボールをベースに球速とキレを上げています。

 

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Nishiのこぼれ話

ペリーの兄ジム・ペリーも70年にリーグ最多の24勝をマークするなどツインズのエースとして活躍し、通算でも215勝をあげている。

 

兄弟合わせての勝利数は529勝であり、これはニークロ兄弟の539勝に次ぐ大記録である。

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