NishiのパワプロMLB査定ブログ

パワプロ2024で作ったMLB選手を公開していきます。

パワプロ2025 ジョニー・ベンチ 1972年 パワナンバー

ジョニー・ベンチ

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CIN(1967-1983)

 

通算成績 2158試合 .267 2048安打 389本塁打 1376打点 68盗塁 fWAR74.8

獲得タイトル:MVP2回、本塁打王2回、打点王3回、ゴールドグラブ賞10回、ルー・ゲーリック賞1回、ベーブ・ルース賞1回、新人王

 

1972年 147試合 .270 145安打 40本塁打 125打点 6盗塁 fWAR9.2

 

Little General

ビッグレッドマシンの中軸を担いレッズを2度の世界一に導いた史上最高のキャッチャー。

 

ベンチは1965年のドラフトで全体36位で指名された、今で言うトッププロスペクト。

 

その才能には、最後の4割打者のテッド・ウィリアムズも太鼓判を押しており、メジャーデビューを果たした67年に「将来の殿堂入り打者ベンチへ」というメッセージを添えたサインボールを送ったほど。

 

ベンチはデビューイヤーこそ打率.163と苦しんだがフルシーズン1年目の68年には打率.275、15本塁打と前評判にたがわぬ好成績を残し、新人王のタイトルを獲得。

 

また、ディフェンス面では20歳のルーキーとは思えない堂々としたリードと盗塁阻止率.473を記録したバズーカアームが光り、新人捕手としては史上初のゴールドグラブ賞にも輝いている。

 

ベンチの全盛期は70年代。1970年にはリーグトップかつキャッチャーとしての最多記録を更新する45本塁打、同じくリーグトップの148打点をマークし、二冠王を達成。史上最年少となる22歳でMVPに選ばれた。

 

さらに72年には40本塁打、125打点で再び二冠王になり、2度目のMVPを受賞。同年は100四球、リーグ最多の23敬遠と露骨に勝負を避けられる展開も目立った。

 

72年オフに良性の腫瘍を切除する手術を行った際、肋骨と神経を切断。その影響で本人曰く、バッティングに支障をきたし40本塁打を放つことは
出来なかったが、それでも20~30本塁打をコンスタントに記録。

 

75年・76年にはローズ、モーガン、ペレス、コンセプシオン、グリフィー父らを擁する最強打線ビッグレッドマシンの中軸を担い、ワールドシリーズ連覇を成し遂げた。

 

キャッチャーという負担の大きいポジションで10年以上試合に出続けた代償か、80年代に入ってからは故障が増え、ラスト3年間は故障防止のためサード兼ファーストに転向。

 

本人は思うようにプレー出来ないことにフラストレーションが貯まっており、35歳の83年シーズンをもって現役引退を発表。

 

ベンチは最後までレッズ一筋でプレー。通算389本塁打、1376打点はレッズの球団記録。また、背番号5はチームの永久欠番に指定されている。

 

87年には、有資格1年目で得票率96%と絶大な支持を受け、殿堂入り。

 

ベンチはキャッチャーとして歴代2位の通算327本塁打を記録。また、守備でもゴールドグラブ賞10回、通算盗塁阻止率.435とトップクラスの成績。

 

総合力の高さからWARでもキャッチャーとして歴代1位のrWAR、fWARを残しており、まさに「歴代最高のキャッチャー」の称号にふさわしい活躍ぶりだった。

 

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