デーブ・ウィンフィールド
SD(1973-1980)-NYY(1981-1990)-CAL(1990-1991)-TOR(1992)-MIN(1993-1994)-CLE(1995)
通算成績 2973試合 .283 3110安打 465本塁打 1833打点 223盗塁 fWAR59.9
獲得タイトル:打点王1回、シルバースラッガー賞6回、ゴールドグラブ賞7回、ロベルト・クレメンテ賞1回、カムバック賞1回
1979年 159試合 .308 184安打 34本塁打 118打点 15盗塁 fWAR7.8
Winny
ドラフトで指名されながらもマイナーリーグで1度もプレーすることなく、キャリアを全うした史上二人目*1のメジャーリーガー。
ウィンフィールドはミネソタ大学時代から野球とバスケとフットボールの三刀流選手として注目を集め、73年にはドラフトでそれぞれのプロスポーツリーグから指名を受けるほど。
ウィンフィールドは最終的に野球をプレーすることを選び、1973年にドラフト全体4位指名でパドレスに入団。
ウィンフィールドはいわゆるトッププロスペクトであり、その圧倒的なセンスからマイナーを経由せずにメジャーデビューを実現。
パドレス時代は2割後半、20本塁打前後をコンスタントに記録。1979年には34本塁打とパワーに磨きがかかり、リーグ最多の118打点とトッププロスペクトとしての才能を存分に発揮した。
1980年オフには当時のFAでは史上最高額となる10年2300万ドルの超大型契約でヤンキースに移籍。
ヤンキース時代は82年から2シーズン連続で30本塁打、84年にはリーグ2位の打率.340を記録するなどリーグを代表する強打者として君臨。
一方でポストシーズンには弱く、特に81年はワールドシリーズで22打席1安打と全く打てず、そのせいかオーナーのジョージ・スタインブレナー氏はウィンフィールドに不良債権の烙印を押し、追い出しに躍起になった。
1990年にはスタインブレナー氏との関係が破綻し、トレードでエンゼルスに移籍。
ウィンフィールドは40歳を過ぎた1992年にも打率.290、26本塁打を放つなど衰え知らずの活躍を続け、1993年には史上19人目の3000本安打を達成。
2001年には有資格1年目で見事、殿堂入りを実現。ウィンフィールドはパドレスの選手として殿堂入りすることを希望し、これに対してスタインブレナー氏は再び激怒したのだとか。
ウィンフィールドは大学時代はピッチャーとして活躍しており、大谷の二刀流に対して「自分も二刀流でプレーしたかった」とコメントしている。
*1:もう一人はボブ・ホーナー