ドン・ベイラー
BAL(1970-1975)-OAK(1976)-CAL(1977-1982)-NYY(1983-1985)-BOS(1986-1985)-MIN(1987)-OAK(1988)
通算成績 2292試合 .260 2135安打 338本塁打 1276打点 285盗塁 fWAR29.4
獲得タイトル:MVP1回、打点王1回、シルバースラッガー賞3回、最優秀指名打者賞2回、ロベルト・クレメンテ賞1回、最優秀監督賞1回
1979年 162試合 .296 186安打 36本塁打 139打点 22盗塁 fWAR3.6
初代DHでMVP獲得者
2024年に大谷選手がDH専任選手として初めてMVPに輝いたことは記憶に新しいが、フルタイムのDHではないものの、DHとして65試合に出場し、MVPに輝いたのが今回作成したベイラーだ。
ベイラーは肩以外の4ツールがそろったメジャーリーガーで、デビュー当初は弱肩をカバーすべくレフトとして起用されていたが、1972年にア・リーグで指名打者制度が導入されてからはDHでの出場が増加。
カリフォルニア・エンゼルスでプレーした1979年にはキャリアハイとなる36本塁打、リーグトップの139打点、120得点をマークし、エンゼルスのア・リーグ西地区初制覇に大きく貢献。オフには外野手兼指名打者としてMVPに輝いた。
1980年以降は指名打者としてプレーする機会が出場試合の大半を占めるようになり、実質的には史上最初のDH専任のバッターとなった。
現役引退後は巨人やダイエーホークスの臨時コーチをへて、1993年にコロラド・ロッキーズの初代監督に就任。
マイルハイ・スタジアムの地の利を活かした打ち勝つ野球でロッキーズを創設3年目でポストシーズンに進めた手腕が評価され、1995年には最優秀監督賞にも輝いている。
査定に関して
ケガしにくさB・アウトコースヒッター
ドン・ベイラーはプレートに覆い被さるようなバッティングスタンスをとっており、相手投手が(おそらく苦手な)インコースを攻めた結果、リーグ最多死球を8回も記録。通算でも267死球を受けており、これは歴代4位の数字。
これだけ死球を受ければ故障離脱も多そうだが、ベイラーは鋼の肉体を持っていたのか大きな離脱がほとんどなく、その点を評価してケガしにくさをBまで上げた。
プルヒッター
ベイラーはオリオールズ時代にフランク・ロビンソン監督からプルヒッティングのアドバイスを受け、打撃覚醒。