ドン・ドライスデール
LAD(1956-1969)
通算成績 518登板 209勝166敗 防御率2.95 2486奪三振 fWAR59.3
獲得タイトル:サイ・ヤング賞1回、最多勝利1回、最多奪三振3回
1962年 43登板 25勝9敗 防御率2.83 232奪三振 1セーブ fWAR6.5
Big D
強烈な内角攻めで恐れられた右のサイドハンド。
ドライスデールは高校生の頃から投手として完成されており、ドジャースの黄金時代を築いたブランチ・リッキーGMが「(速球も変化球も)指導が必要ないほど素晴らしい!」と惚れ込んだほど。
その前評判通り、ドライスデールはメジャー2年目の1957年に先発ローテーションに定着すると17勝、リーグ2位タイの防御率2.69の好成績を記録。
1960年代に入ると左のコーファックス、右のドライスデールの二枚看板でチームを牽引。
1962年には防御率こそはコーファックスに敗れたものの、リーグ最多かつキャリアハイの25勝、同じくリーグ最多の232 奪三振をマークし、サイ・ヤング賞のタイトルも獲得。
続く63年も19勝、防御率2.63の好成績を残し、ワールドシリーズでも完封勝利を飾り、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。
コーファックスは故障の影響で66年をもって現役したが、ドライスデールはその後も60年代ドジャースのエースとして君臨。
投手の年こと1968年にはMLB新記録となる58.2イニング連続無失点記録を樹立し、キャリアハイの防御率2.15をマークしている。
ドライスデールは翌年の69年に右肩の回旋腱板を断裂し、現役を引退。
殿堂入り資格取得10年目には得票率78%で見事殿堂入りを果たしている。
引退後は、解説者として全米を飛び回っていたが、1993年にドジャース対エクスポズ戦のために滞在していたホテルで心筋梗塞を起こし、56歳の若さでこの世を去った。
球種はスライダー、カーブ、チェンジアップ、スピットボール。
ドライスデールはゲイロード・ペリーに並ぶスピットボールの使い手。書籍『Guide to Pichers』によるとナックルフォーク的な不規則な軌道を描いていたようだ。
査定に関して
球速158キロ
ドライスデールは1960年代最速のピッチャー。当時のドライスデールの投球を知る人からは「98〜100マイルくらい出ていたのでは」との声が上がるほどで、1960年オフにに開催されたスピードガンコンテストでも95マイルを叩き出しており、常時150キロ台の豪速球を操っていたことは間違いない。
パワーC ※画像は後日掲載
ドライスデールはキャリア通算で26本塁打とバッティングが得意なピッチャー。今回作成した62年は1本も打てなかったが、58年と65年にはシーズン7本塁打を放ち、65年にはチーム唯一の打率3割をマーク。
内角無双
ビーンボールも辞さない激しい内角攻めはドライスデールの代名詞。
ドライスデールはキャリア通算で154回のデッドボールを与えており、これはナ・リーグ最多記録。
なお、ドライスデールは「チームメイトがひとり死球を当てられたら、相手チームに倍返しする」という恐怖のマイルールを設けていたようで、その死球のほとんどは故意に当てていた模様。
ナチュラルシュート
ドライスデール速球はナチュラルに沈む伸びシュート系。