ボブ・ギブソン
STL(1959-1975)
通算成績 528登板 251勝174敗 防御率2.91 3117奪三振 6セーブ fWAR82.3
獲得タイトル:MVP1回、サイ・ヤング賞2回、最多勝1回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回、ゴールドグラブ賞9回
1968年 34登板 22勝9敗 防御率1.12 268奪三振 fWAR8.6
ヘッドハンター
1968年にMLB記録となる防御率1.12をマークした先発右腕。
ボブ・ギブソンは画像のようにボールをリリースした瞬間にファーストベース方向に倒れ込むような豪快なフォームで知られ、(目が悪かったため)常にマウンドから睨みつけるコワモテフェイスと相まって威圧感は抜群。
ギブソンはデッドボールを辞さない激しい内角攻めをしたことから、ヘッドハンターの異名で恐れられ、ギブソンと対戦する際は、「ホームランを打っても素早くベースを回り、喜ぶのもベンチ裏に入ってから。ボクシングの腕も一流だから、死球を受けてもマウンドに突進してはいけない」とアドバイスされるほど。
また、プロ意識の高さからオールスターなどでも他球団の選手とは、いっさい口を聞かず、バッテリーを組んだジョー・トーリも冷たくあしらったという*1。
ギブソンのキャリアを語る上で欠かせないのが、前述した1968年のピッチング。
同年はデトロイト・タイガースのデニー・マクレインが1934年のディジー・ディーン以来のシーズン30勝*2、防御率も1.96という驚異的な成績を残していたが、ギブソンは防御率1.12とマクレインをはるかに凌駕する成績をマーク。
この防御率1.12という数字はライブボール時代以降で最高の防御率であり、2位のドワイト・グッデン(1.53)に.041も差をつけており、アンタッチャブルレコードになると言われているほど。
同年はライブボール時代以降では歴代最多となる13完封を成し遂げており、先発完投が珍しくなった現代野球の現状を踏まえるとこちらもアンタッチャブルレコードになりそうだ。
なお、1968年は後に「投手の年」と呼ばれるように極端な投高打低のシーズンで、ア・リーグに至っては3割打者がヤストレムスキーひとりしかいないという有り様。
これはまずいと考えた結果、翌年以降はマウンドの高さが5インチ下がり、ストライクゾーンも広くなったが、ギブソンは20勝、防御率2.18とその影響をほとんど感じさせない素晴らしいピッチングを披露した。
ギブソンは引退後の1981年に有資格1年目で殿堂入り。引退後はコーチやカーディナルスのアドバイザーとして活躍。晩年は肝臓ガンとの闘病生活に入ったが、年齢には抗えず2020年に84歳で天寿を全うしている。
球種はツーシーム、Hスライダー、ドロップカーブ、チェンジアップ。
決め球の高速スライダーは速球とほとんど変わらない球速で変化したらしく、魔球として猛威をふるった。
査定に関して
154キロ
ボブ・ギブソン=超豪速球投手のイメージが強いが、実際は最速92〜95マイル前後だったと言われている。
ノビA・フライボールピッチャー
ギブソンの速球は浮き上がってくるような軌道を描くライジングファストボール。この手の投手宿命かギブソンもやはりフライが多く、1965年にはリーグ最多の34本の本塁打を献上している。
守備A・打球反応◯
リリース後、大きくファーストベース方向に倒れ込むフォームのため、打球反応が悪そうだが、ギブソンは華麗なフィールドディングで知られ、1965年から9シーズン連続でゴールドグラブ賞に輝いている。
内角攻め
ギブソンといえばこの得能。今作では同じく熾烈な内角攻めをしたことで知られたドライスデールに内角無双をつけたが、ギブソンは通算の与死球は104、1〜3死球しか与えていないシーズンもあり、ドライスデールほどは故意に当てにいってはいなそうだったため、青特にとどめた。