ホワイティ・フォード
NYY(1950-1967)
通算成績 498登板 236勝106敗 防御率2.75 1956奪三振 10セーブ fWAR54.9
獲得タイトル:サイ・ヤング賞1回、最多勝利3回、最優秀防御率2回
1961年 39登板 25勝4敗 防御率3.21 209奪三振 fWAR5.8
Chairman of the Board
1950〜60年代のヤンキースのエースとして球団記録となる236勝をあげたサウスポー。
フォードは最速でも80マイル台後半と速球のスピードは当時でもそれほど速くなかったが、カーブを始めとする多彩な変化球で的を絞らせないピッチングで打者を翻弄。
フォードの特筆すべき点は何よりも負けない投手であったこと。
フォードがプレーした5、60年代のヤンキースはミッキー・マントル、ロジャー・マリスのMM砲を筆頭に強力な打撃陣が揃っており、彼らの援護もあってキャリア通算の勝率は.690と極めて高く、これは歴代4位、ライブボール時代以降の投手としては歴代トップの勝率である。
また、負けなかったもう一つの要因としてフォードが大崩れすることがほとんどないピッチャーであることがあげられ、16年のキャリアで防御率3点台は5回だけ。
現役を退いた時点での通算防御率2.75はライブボール時代以降の投手の中ではホイト・ウィルヘルムに次ぐ歴代2位*1、先発投手に限ると歴代1位の数字だった。
また、ワールドシリーズにも強く、歴代最多の8勝をマーク。1961年にはベーブ・ルースの記録を更新する33イニング連続無失点という偉業を成し遂げている。
日本におけるフォードの知名度はフォードは同時代にプレーしたコーファックスやウォーレン・スパーンの両左腕比べて控えめだが、間違いなく彼らに匹敵するレジェンド左腕であり、1974年にはチームメイトのミッキー・マントルとともに殿堂入りを果たしている。
球種はツーシーム、スライダー、カーブ、チェンジアップ。
フォードはゲイロード・ペリーやドン・ドライスデールと同じくスピットボールもレパートリーに入っていたようだが、流石に5球種は強すぎるので泣く泣くオミット。
また、カーブは横変化の大きいスウィーピングカーブに分類されている。
査定に関して
勝利の星
今回作成した1962年は防御率こそは3.21とフォードとしては凡庸な成績に終わったが、MM砲の援護のおかげでリーグ最多の25勝をマーク。
防御率3点台となれば二桁敗戦もあり得る中、フォードはわずか4敗しかせず、勝率は.862とまさに負けないエースだった。
クイックB・牽制
フォードはクイック並びに牽制が非常に速かったようで、1961年は一つの盗塁も許さなかった。
Nshiのこぼれ話
ホワイティは髪の毛が美しいブロンドだったことにちなんだニックネーム。
名付け親はケーシー・スティンゲル監督、ビル・マーティン、ミッキー・マントルの3人とのこと。
*1:現在はカーショウ、ウィルヘルムに次ぐ3位