ディック・ラダッツ
BOS(1962-1966)-CLE(1967-1967)-CHC(1967)-DET(1969)-MON(1969)
通算成績 381登板 52勝43敗 防御率3.13 745奪三振 120セーブ fWAR8.5
獲得タイトル:最多セーブ2回
1964年 79登板 16勝9敗 防御率2.29 181奪三振 29セーブ fWAR2.9
モンスター・ラダッツ
1960年代最強の強打者ミッキー・マントルからあまりの速球のスピードと2メートル・100キロオーバーの巨体にちなんで「モンスター」というニックネームで呼ばれた剛腕リリーバー。
ラダッツは当時としては非常に珍しいリリーフエース的起用法をされたピッチャーで、ルーキーイヤーの1962年から65年までの4シーズン連続で60登板&20セーブ以上を記録。
ラダッツは現在のピッチャーのように高めの速球で奪三振を量産し、1964年にはリリーフピッチャーとしてのシーズン最多記録となる181奪三振をマーク。
また、ラダッツは1963年から全てリリーバーとして登板していながら、2シーズン連続で15勝以上とパッと見、先発投手さながらの成績を残しており、1964年にあげた16勝はア・リーグ記録として現在も破られてはいない。
通常リリーフ投手のrWARが3を超えることは珍しいが、ラダッツはルーキーイヤーから3年連続でrWAR5オーバーと突出した貢献度を誇り、MVP投票でも63年から2年続けてトップ10入りを果たしている。
1965年以降は酷使の影響で速球のスピードが低下。また、コントロールも1967年には与四球率8.9と壊滅的なレベルにまで悪化。ラダッツはシンカー系のボールを取り入れるなど、現役続行のための工夫を凝らしたが、上手くはいかず、メジャーデビューから8年目の1969年に現役を退いた。
球種はスライダー、カーブ、チェンジアップ。
査定に関して
主砲キラー
ラダッツはミッキー・マントルキラーとして有名。
マントルがラダッツを「モンスター」と呼んで恐れていたことからも想像できるように、ラダッツはマントルを完璧に押さえ込んでおり、実際の対戦成績は16打席で12の三振を奪っているようだ。