アーニー・バンクス
CHC(1953-1971)
通算成績 2528試合 .274 2583安打 512本塁打 1636打点 50盗塁 fWAR63.3
獲得タイトル:MVP2回、本塁打王2回、打点王2回、ゴールドグラブ賞1回
1959年 155試合 .304 179安打 45本塁打 143打点 2盗塁 fWAR9.7
Mr. Cub
ショートという負担の大きいポジションに就きながら5度のシーズン40本塁打以上をクリアした強打者。
バンクスはルーキーイヤーの54年に当時のショートとしての新人記録となる19本塁打を放ち、新人王投票でも2位にノミネート。
1955年には軽量バットに切り替えたことでスイングスピードがさらに早くなったこともあり、ショートとしてのMLB記録となる44本塁打をマーク。また、同年はMLB新記録となるグランドスラムを5本放ち、球界を代表する強打者として脚光を浴びた。
バンクスは58年から2年続けて3割・40本塁打・100打点を叩き出し、MVPのタイトルを獲得。これだけ打てるショートがいるならば、さぞカブスも強かったと思われるが、実際には両年との負け越しと低迷。
当時のファンはいくらバンクスが打っても勝てないことを揶揄して「アーニー・バンクスシンドローム(症候群)」と言うようになり、おそらく2020年代前半の「なおエ*1」のような状態であったことが伺える。
バンクスは1961年に膝の故障が原因でファーストにコンバート。バンクスは60年代に入ると膝以外に脳震盪やおたふく風邪などに苦しむも、本塁打はコンスタントに積み上げ、1970年には史上9人目の500本塁打を達成。
バンクスはミスター・サンシャインのニックネームが示すように非常に明るい人柄で知られ、1977年の殿堂入りスピーチも決め台詞の「So let's play two!(さあ、もう1試合しましょう)」で締めくくり、会場を大いに沸かせた。
査定に関して
対ストレート◯
バンクスは常に速球狙いのバッティングを心がけていたとインタビューで話しており、vs. Power/Finesse Pitchersでもvs.Powerに対して.351と速球派に強かったことが伺える。
*1:なお、エンゼルスは試合に敗れたの略。大谷がいくら投打に渡って活躍しても勝てないエンゼルスを揶揄するネットスラング