テッド・クルゼウスキー
CIN(1947-1957)-PIT(1958-1959)-CWS(1959-1960)-LAD(1961)
通算成績 1718試合 .298 1766安打 279本塁打 1028打点 20盗塁 fWAR27.2
獲得タイトル:本塁打王1回、打点王1回
1954年 149試合 .326 187安打 49本塁打 141打点 fWAR7.4
Big Klu
鍛え抜かれた上腕二頭筋を見せつけるようなノースリーブのユニフォームをまとい特大ホームランを連発した1950年代屈指のスラッガー。
クルゼウスキーは47年のメジャーデビューから52年まではアベレージの残せる中距離ヒッターという扱いだったが、1953年に40本塁打を放ち、ホームランバッターとして開花。
続く54年には本塁打(49)と打点(141)の2冠王に輝き、MVP投票でもウィリー・メイズに次ぐ2位にランクイン。
クルゼウスキーの特筆すべき特徴はホームランバッターでありながら三振が非常に少ないことで、1953年から4年連続で35以上を放ちながら、本塁打>三振*1という偉業を達成。これはMLBでも唯一の記録となっている。
クルゼウスキーは堅実なファースト守備にも定評があり、1951年から55年かけてナ・リーグのファーストとしてはトップの守備率を維持。
クルゼウスキーは1956年の時点では殿堂入りクラスのファーストとしてのキャリアを歩んでいたが、同年に背中を痛め、ヘルニアと診断。ここからはフルシーズンでプレーすることが難しくなり、5年後の1961年をもって現役を退いた。
引退後は古巣レッズの打撃コーチに就任。クルゼウスキーの的確なアドバイスでレッズの打撃陣は球界最高クラスの攻撃力を誇る「ビッグ・レッド・マシン」に生まれ変わり、チームの2度の世界一に大貢献した。
Nishiのひとりごと
クルゼウスキーは英語のスペルからKluszewskiと非常に読みにくい名前であり、メディアによって表記が分かれるメジャーリーガー。クルズースキーやクルシェフスキーと表記する場合もあるが、筆者はクルゼウスキー派。
*1:1953年は40本塁打・30三振、54年は49本塁打・35三振、55年は47本塁打・40三振、56年は35本塁打・31三振