Wartime Baseball
1940年代は第二次世界大戦の激化にともない、現役メジャーリーガーも次々と兵役となり、ジョー・ディマジオ、テッド・ウィリアムズをはじめ多くのスター選手も戦場に。
42年から45年にかけては、諸事情で徴兵を免除された選手たちがプレーする通称Wartime baseball時代に突入。レベルは若干低下したことは否めないが、ハル・ニューハウザーやクーパー兄弟ら若手のスター選手が次々誕生し、ベースボールは戦時下の娯楽・希望として機能した。
終戦後は、スター選手も各球団に復帰を果たし、MLBの人気は確固たるものとなった。
そして、40年代で忘れてはいけないのが、アフリカ系アメリカ人のMLBデビュー。1947年にジャッキー・ロビンソンが人種の壁を打ち破り、ニグロリーグから数多くのメジャーリーガーが輩出されることとなった。
All Decade Team 1940’sオーダー
キャッチャー:ウォーカー・クーパー
1947年 140試合 .305 157安打 35本塁打 122打点 2盗塁 fWAR5.0
1940年代屈指の強肩強打の名捕手。1942年から45年にかけてはOPS.850オーバー、 47年には35本塁打とトップクラスの打力を誇り、オールスターにも40年代にプレーしたキャッチャーとしては最多の7回選出されるなど人気も抜群だった。
次点はアーニー・ロンバルディ。アベレージを残す能力はロンバルディがやや優勢だが、パワー面ではクーパーには到底及ばなかった。
ファースト:ジョニー・マイズ
1940年 155試合 .314 182安打 43本塁打 137打点 7盗塁 fWAR7.1
1940年から3シーズン連続で3割・OPS. 900以上をマークした強打のファースト。 兵役で43年から3シーズンは戦線を離れたが、46年に復帰すると、47年にはリーグトップの51本塁打とブランクを感じさせない活躍ぶり。
戦時中の離脱がなければ、間違いなく歴代最強のファースト論争に加われるだけのポテンシャルを秘めた逸材だった。
セカンド:ジャッキー・ロビンソン
1949年 156試合 .342 203安打 16本塁打 124打点 37盗塁 fWAR9.6
人種の壁を打ち破ったMLBの歴史を変えたレジェンド。ロビンンソンはセカンドとしてもトップクラスの総合力を誇り、1949年には40年代にプレーしたセカンドの中ではダントツトップのfWAR9.6をマーク。
なお、通算成績ではジョー・ゴードンが優勢だが、今回は球界に与えたインパクトを優先し、ロビンソンを選出している。
サード:ボブ・エリオット
1947年 150試合 .317 176安打 22本塁打 113打点 3盗塁 fWAR6.3
1940年代最高のサード。勝負強いバッティングが持ち味で40年代にあげた903打点は40年代にプレーした選手の中ではトップの数字。1947年にはMVPにも選ばれている。
ショート:ルー・ブードロー
1948年 152試合 .355 199安打 18本塁打 116打点 3盗塁 fWAR10.9
ショートという負担の大きいポジションを守りながら、24歳から選手兼監督としてプレーしたレジェンド。
ブードローは大胆な守備シフトを初めて取り入れた監督でもあり、MLB史に与えたインパクトは絶大。また、抜群のバットコントロールでも知られ、1948年は676打席でわずか9三振に留めている。
ライト:スタン・ミュージアル
1948年 155試合 .376 230安打 39本塁打 131打点 7盗塁 fWAR11.0
The Manのニックネームで知られる史上最高のバッターのひとり。
ミュージアルは1940年代の通算OPSが1.000オーバーと異次元なバッティングを披露。スタン・ミュージアルはファースト、レフト、センター、ライトの4ポジションを満遍なく守ったことでも知られているが、今回はキャリアハイの成績を残した48年に一番守っていたライト枠で選出。
センター:ジョー・ディマジオ
1941年 139試合 .357 193安打 30本塁打 125打点 4盗塁 fWAR9.7
1941年にMLB記録となる56試合連続安打を放った稀代のヒットメイカー。
ディマジオは兵役でキャリアを中断されたが、復帰後も変わらぬバッティングを披露し、47年に自身2度目のMVPに輝いている。
MLBにおける史上最高のセンターはウィリー・メイズというのが定説だが、ディマジオの名をあげる有識者も少なくはない。
レフト:テッド・ウィリアムズ
1941年 143試合 .406 185安打 37本塁打 120打点 2盗塁 fWAR11.5
最後の4割打者にして史上最高のレフト。戦争でキャリアが3年間中断されていながら、40年代で最多の本塁打・四球数を記録している。
DH:ラルフ・カイナー
1949年 152試合 .310 170安打 54本塁打 127打点 6盗塁 fWAR7.8
1946年にメジャーデビューしてから7シーズン連続で本塁打王に輝いたパワーヒッター。一時はルースの記録を抜くペースで本塁打を量産していたが、50年代に入ってからは腰と背中の痛みに苦しみ、キャリアはわずか10年で終了。ポジションはレフトだが、同ポジションにはテッド・ウィリアムズという最強打者がいたためDH枠で選出。
先発
ボブ・フェラー
1946年 48登板 26勝15敗 防御率2.18 348奪三振 4セーブ fWAR9.6
火の球ストレートで知られる球史に残る速球派投手。
1939年から3シーズン連続で最多勝利に輝いた後、第二次世界大戦に出兵。約4シーズンのブランクを経て復帰した46年から再び2年連続で最多勝と間違いなくこのディケイド最強の投手。第二次世界大戦がなければ通算350勝を超えていた可能性も高かった。
ハル・ニューハウザー
1945年 40登板 25勝9敗 防御率1.81 212奪三振 2セーブ fWAR8.0
Wartime Baseball時代最強のピッチャー。1944年から3シーズン連続で最多勝利、45年には投手三冠、MVPと主要タイトルを総なめにした。
ディジー・トラウト
1944年 49登板 27勝14敗 防御率2.12 144奪三振 fWAR7.3
Wartime Baseball時代にハル・ニューハウザーとタイガースのダブルエースとして大活躍した本格派右腕。1943年から46年までの4シーズンで82勝、1944年にはリーグ2位の27勝、リーグトップの防御率2.12をマークし、MVP投票ではニューハウザーに次ぐ2位にランクイン。
スパッド・チャンドラー
1943年 30登板 20勝4敗 防御率1.64 134奪三振 fWAR6.3
あらゆる球種を操ったヤンキースのエース。1943年には40年代にプレーした投手としては最高となる防御率1.64をマーク。チャンドラーは負けないピッチャーでも知られ、通算勝率は歴代2位の.717。
ボブ・レモン
1949年 37登板 22勝10敗 防御率2.99 138奪三振 1セーブ fWAR3.3
シンカーを武器に通算207勝をあげたインディアンズのエース。レモンは二刀流に一番近いピッチャーであり、1949年には7本塁打をマーク。全盛期は厳密に言えば50年代だが、投手層の関係で今回は40年代枠で選出。
リリーフ
ヒュー・ケイシー
1942年 50登板 6勝3敗 防御率2.25 54奪三振 13セーブ fWAR1.0
ブルックリン・ドジャースのリリーバー。当時はセーブという概念がなかったが、比較的セーブシチュエーションで投げている機会が多く、42年と47年にはリーグ最多のセーブ数をあげていた。
ジョー・ペイジ
1947年 56登板 14勝8敗 防御率2.48 116奪三振 17セーブ fWAR1.9
リリーフ投手の草分け的存在。ヤンキースのファイヤーマンとして47年からリリーフ1本でプレー。1947年には当時のリリーフ投手としては最多となる13勝*1をマークし、MVP投票でも4位に選ばれた。
ユニフォーム&チーム設定
パワナンバー 20100 10090 65917
MLB All Decade Teamの概要、一覧はこちらから
*1:シーズンの勝利数は14だが、うち1勝は先発としてあげている