ハル・ニューハウザー
DET(1939-1953)-CLE(1954-1955)
通算成績 488登板 207勝150敗 防御率3.06 1796奪三振 26セーブ fWAR59.7
獲得タイトル:MVP2回、最多勝利4回、最優秀防御率2回、最多奪三振2回
1945年 40登板 25勝9敗 防御率1.81 212奪三振 2セーブ fWAR8.0
Prince Hal
Wartime Baseball時代最強のサウスポー。
ニューハウザーは高校生の頃から速球派サウスポーとして注目されていた逸材で、18歳を迎えたばかりの1939年にメジャーデビュー。
ルーキーイヤーから1943年までの5シーズンは制球と感情のコントロールに苦しんだが、44年のスプリングトレーニングで正捕手のポール・リチャーズからスライダーの投げ方と感情のコントロール方法を学ぶと、リーグ最多の29勝と大ブレイク。オフにはMVPのタイトルを獲得と飛躍のシーズンになった。
翌年の45年には25勝、防御率1.81、212奪三振で投手三冠を実現。オフには2年連続となるMVPのタイトルを獲得と、まさに主要タイトルを総なめする最高のシーズンとなった。ちなみに投手としてMVPを連続受賞したのはニューハウザーだけである。
戦場から多くのメジャーリーガーが復帰してきた1946年もニューハウザーはエース級のピッチングを披露し、26勝、防御率1.94と圧巻の成績をマーク。
その後もタイガースの絶対的エースとして君臨していたが、1950年に肩を痛めるとそこからキャリアは下り坂になり、1955年に現役を退いた。
引退後はスカウトに転向。ニューハウザーは選手発掘能力に長け、サイ・ヤング賞投手のディーン・チャンスら名選手をメジャーへと送り届けた。
アストロズのスカウトを務めていた1992年にはデレク・ジーターのセンスをいち早く見抜き、「1位指名すべき」と進言するも、アストロズはあろうことかフィル・ネビンを指名し、のちの現役最強ショートをみすみすと逃してしまう結果となった。
ニューハウザーは同年にベテランズ委員会枠で殿堂入り。背番号16はタイガースの永久欠番に指定されている。
球種はスライダー、カーブ、チェンジアップ。
査定に関して
本塁打厳禁
1945年に許した本塁打は5本だけ。被本塁打率は0.14と驚異的な数字をマーク。
尻上がり
ニューハウザーは試合終盤になると一段とギアが入るピッチャー。1945年のイニング別防御率では8回が0.77、9回も0.93とほとんど打たれず。
短気
ニューハウザーはとんでもなく短気なメジャーリーガーとして有名。現役時代には打ち込まれると癇癪を起こし、ロッカールームに置いてあるコーラの瓶を1ケース分叩き割ったことも。
なお、本人曰く、感情のコントロールができるようになったから勝てるようになったのではなく、勝ち始めたから怒らなくなったのだそう。
Nishiのこぼれ話
ニューハウザーとダブルエースとして活躍したディジー・トラウトもかなり短気な性格で知られ、キャッチャーのリチャーズは面倒な性格なピッチャーを2人もリードする羽目になった。
関連選手:ディジー・トラウト