ディジー・トラウト
DET(1939-1952)-BOS(1952)-BAL(1957)
通算成績 521登板 170勝161敗 防御率3.23 1256奪三振 38セーブ fWAR47.1
獲得タイトル:最優秀防御率1回、最多勝利1回
1944年 49登板 27勝14敗 防御率2.12 144奪三振 fWAR7.3
デトロイトのトラウト
Wartime Baseball時代にタイガースの右のエースとして大活躍した本格派。
メジャーデビューからの4シーズンは速球のスピードこそはずば抜けていたものの、キレやすい性格が投球にも影響が出て、33勝44敗とパッとせず。
トラウトにとって転機になったのはメジャー5年目の1943年シーズン。同年から第二次世界大戦の激化に伴い、200人以上の主力選手が兵役につくWartime Baseball時代に突入したが、トラウトはメガネをかけていたことから分かるように視力が非常に悪く、兵役を免除。
MLBのレベルが下がったことや、代替選手として加入したベテラン捕手、リチャーズのアンガーマネジメントが功を奏し、リーグ最多の20勝をマーク。
翌年の45年にはハル・ニューハウザーとエースコンビ組み、最多勝利のタイトルはニューハウザーに譲ったものの、リーグ2位の27勝、リーグトップの防御率2.18、リーグ最多の33完投・352.1イニングとキャリアハイの成績をマーク。
トラウトは戦場から主力メジャーリーガーが復帰してきた46年も17勝、防御率2.34と好成績を残したが、48年以降は腕の故障でパフォーマンスが大幅に低下。1953年には自身の球速が「空中で鳩が止まるような遅さ」にまで落ちたことに限界を感じ、解説者に転向。
その後、1957年には現役復帰を果たすも、2試合で防御率81.0と打ち込まれてしまっている。
球種はカーブ、SFF、シンカー。
トラウトの決め球のフォークボールは今風にいうスプリッターのような変化であったとの記載があったため、SFFを採用。
査定に関して
投打躍動
トラウトは投手としてはトップクラスの打力の持ち主で、通算で20本塁打を記録。また、トラウトは試合終盤になるにつれ、アベレージが上がるタイプのバッターで1944年は7〜9イニング目の打率が.542、1949年には9回裏に満塁弾を放つなど野手顔負けのバッティングを披露していた。
短気
トラウトはチームメイトのニューハウザーと同じく非常にキレやすい性格。
1942年にはヤジを飛ばした観客をぶん殴るという蛮行に及び、当時の新聞では「タイガース敗戦。トラウト投手がファンを攻撃する」という記事が掲載されたという。
関連選手:ハル・ニューハウザー