ボブ・レモン
CLE(1941-1942,1946-1958)
通算成績(投手) 460登板 207勝128敗 防御率3.23 1277奪三振 22セーブ fWAR32.2
(野手) 615試合 .232 274安打 37本塁打 147打点 2盗塁
獲得タイトル:最多勝利3回、最多奪三振1回、最優秀監督賞1回
1949年 37登板 22勝10敗 防御率2.99 138奪三振 1セーブ fWAR3.3
強打のエース
MLBでは、マディソン・バムガーナーやカルロス・ ザンブラーノのように、野手顔負けのバッティングを披露する、二刀流の素質を持つ投手が何人もいた。
そうした中でも、大谷クラスの本格的な二刀流になれそうなポテンシャルを秘めていたのが、今回作成したボブ・レモンである。
レモンはマイナー時代から左のパワーヒッターとして注目されており、1942年にメジャーデビュー。1946年には外野手としてメジャー再昇格を果たすもチェンジアップがまったく打てないことが明らかになり、 早々にレギュラーの座をはく奪。
レモンは、海軍時代に投手としてもプレーしており、 これに目をつけたルー・ブードロー監督の勧めで投手に転向すると、実質“投手1年目” でありながら、32試合に登板(うち5先発)で防御率2.49という好成績をマーク。
決め球のシンカーを習得した1948年には20勝・防御率2.82をマーク。ボブ・ フェラーと並ぶ二枚看板としてチームを牽引した。
翌1949年には22勝を挙げ、衰えが見え始めたフェラーに代わり、チームの絶対的エースへと成長。
また、得意のバッティングでも結果を出し、純粋に投手として出場した選手としては歴代最多となるシーズン7本塁打を記録した。
この年はシーズン25本塁打ペースで打っており、もし現代であれば、大谷翔平という成功例もあることから、二刀流での起用が検討されていた可能性も高かったが、当時はそうした概念がなく、レモンはそのまま投手に専念。
1950年代に入っても、レモンはインディアンズのエースとして君臨。3度の最多勝、5度のシーズン20勝以上を達成し、1956年には通算200勝のマイルストーンを達成している 。
引退後は監督業に転じ、1978年にはヤンキースの監督としてワールドシリーズ制覇を成し遂げている。
球種はスライダー、カーブ、シンカー。
査定に関して
代打◯
1949年は代打として13回起用され、打率.500と野手顔負けのバッティング。