ジョー・ペイジ
NYY(1944-1950)-PIT(1954)
通算成績 285登板 57勝49敗 防御率3.53 519奪三振 76セーブ fWAR6.4
獲得タイトル:特になし
1947年 56登板 14勝8敗 防御率2.48 116奪三振 17セーブ fWAR1.9
Gay Reliever
ゲイ・リリーバーの愛称で知られるMLBにおけるリリーバーの草分け的存在。
ペイジは10代の頃に交通事故で左腓骨を複雑骨折した影響で、兵役免除となっており、Wartime Baseball時代の1944年にメジャーデビュー。
メジャーデビューから3シーズンは先発としての起用が中心だったが、1947年からリリーバーに本格転向。
当時はセーブの概念こそはなかったものの、ペイジは勝ちゲームの試合終盤を任されることが多く、「ヤンキースに勝つには7回までに点をとらなければならない」とスポーツ誌に書かれるほどの存在感を見せ、オールスターにも選出。
最終的にペイジは同年、リリーフ登板だけで14勝をマークし、当時のリリーフ投手としての勝利記録を樹立。また、当時は公式記録でなかったものの、事実上リーグ最多の17セーブをマーク。当時の記者からもペイジの火消しぶりは評価されており、MVP投票では4位にノミネートされるなど大活躍の1年を送った。
48年は防御率4.26と不調に終わったが、翌年の49年に13勝、防御率2.59、27セーブとヤンキースのリリーフエースとして復活。MVP投票では自己ベストの3位にノミネートされた。
また、同年はワールドシリーズでも好リリーフを連発し、シリーズMVPにも輝いている。
オフには当時のリリーフ投手としては最高額となる3万5000ドルで契約更改を果たし、リリーフ投手の地位向上にも一役買った。
ペイジは1950年5月に腰を、翌年には腕を痛め、速球のスピードは大幅にダウン。晩年はシンカーボーラーとしての再起を模索していたが、復活することはできなかった。
球種はカーブ、スピットボール、フォーク。
ペイジはスピットボーラーであり、今回はナックルをベースにしたオリ変で再現。