ジャッキー・ロビンソン
BRO(1947-1956)
通算成績 1382試合 .311 1518安打 137本塁打 734打点 197盗塁 fWAR59.9
獲得タイトル:MVP1回、首位打者1回、盗塁王2回、新人王
1949年 156試合 .342 203安打 16本塁打 124打点 37盗塁 fWAR9.6
42 〜世界を変えた男〜
1947年4月15日にアフリカ系アメリカ人として史上初のMLBデビューを果たした“人種の壁を越えた男”。
ロビンソンがメジャーデビューする前は、明文化されたルールこそはなかったが、MLBで有色人種がプレーするのは御法度とされ、ベースボールは白人がプレーするMLB、アフリカ系アメリカ人がプレーするニグロリーグの二つに分断されていた。
そんな中、当時ドジャースのGMを勤めていたブランチ・リッキー氏が「優れた身体能力を誇るアフリカ系アメリカ人を自チームに呼びこめれば、大幅な戦力強化&アフリカ系アメリカ人も観客層として取り込める」と、極めてビジネスライクな思想のもと当時のニグロリーグでプレーしていたロビンソンをスカウト。
ロビンソンは46年にドジャース傘下で激しい差別にあいながらも打率.349とハイアベレージを残し、リーグMVPを受賞。
翌年の1947年からは春季キャンプからメジャーに帯同し、4月15日にアフリカ系アメリカ人として初のMLBデビューを実現。
当時は相手チームから「ロビンソンがプレーするならボイコットする」と脅迫を受け、激しいビーンボールや危険なスライディングの標的になったが、レオ・ドローチャー監督や、ピー・ウィー・リースらチームメイトの支えもあってフルシーズン戦い抜き、151試合で打率.297、リーグ最多の29盗塁と素晴らしい成績を残し、同年から制定された新人王に輝いた。
ロビンソンの活躍で、ドジャースは翌年からニューカム、キャンパネラ、ギリアムと次々とアフリカ系アメリカ人がメジャーデビュー。他のチームも追随する形でニグロリーグから有力選手を補強し、MLBは人種の壁を超越するスポーツに変化した。
ロビンソンは49年開幕前にジョージ・シスラーのアドバイスで広角に打球を飛ばせるようになり、リーグトップの打率.342をマークし、MVPにも輝いた。
ロビンソンは50年代に入ってからも5シーズン連続で3割オーバーと大活躍。ディフェンス面でも53年から本職のセカンドに加え、外野、サードもこなすスーパーユーティリティとしてチームを支えた。
野球選手としては絶好調であったが、1950年オフにブランチ・リッキーがチームを去ったころからドジャースフロントとの関係悪化が進み、フロントは56年オフにニューヨーク・ジャイアンツへのトレードを決断。
ロビンソンは生涯ドジャースを望んでおり、このトレードを拒否する形で現役引退を発表。
これによりメジャーでのキャリアは終わったが、その後は自伝の執筆やタレント活動、公民権運動とマルチに活躍。1962年にはアフリカ系アメリカ人として初の殿堂入りを果たしている。
ロビンソンは現役引退前後から糖尿病に苦しんでおり、背番号42がチームの永久欠番に指定された1972年には右目を失明、杖なしでは歩けないほど、健康状態が悪化しており、同年に53歳の若さで死去。
ロビンソンがメジャーデビューしてから50年目の1997年4月15日には背番号42が全球団の永久欠番に指定され、2009年からは「ジャッキー・ロビンソンデー」として同日は全選手が背番号42のユニフォームを着用することが決まるなど、ロビンソンの功績は現在でもしっかりと受け継がれている。
査定に関して
守備B
MLBデビュー当初は不安視されてセカンド守備もこの頃には名手の域に入っており、トータルゾーンではプラス10を記録。
アベレージヒッター
ロビンソンは10年のキャリアの中で3割以上が6回、晩年の2年間を除く全てのシーズンで打率.296以上と抜群のコンタクト力を誇った。
広角打法
前述のジョージ・シスラーとのトレーニングのエピソードより。
粘り打ち・選球眼
ロビンソンは1949年から3シーズン連続でシーズン30三振以下。積極的に打ちにいくから三振が少ないわけではなく、49年は86四球とフォアボールをしっかり選んでおり、ここからも抜群のバットコントロールを誇っていたことがよく分かる。
ホーム突入
ロビンソンは積極的にホームスチールを狙う選手として知られ、キャリアを通して20回のホームスチールに成功。
Nishiのひとりごと
2013年にはジャッキー・ロビンソンの伝記映画「42〜世界を変えた男〜」が公開されており、メジャーデビューまでの道のりが詳細に描かれている。
ジャッキー・ロビンソンについてもっと知りたい人はこちらの映画からはいってみてはいかがでしょうか。
ちなみにキャストもブラックパンサーでお馴染みのチャドウィック・ボーズマン、ハリソン・フォードとなかなかの布陣。
関連選手:ロビンソンの後に続いたドジャースのアフリカ系アメリカ人
ロイ・キャンパネラ
ドン・ニューカム
メジャーリーグを題材にした映画についてはこちらの記事でもまとめています。