ボブ・エリオット
PIT(1939-1946)-BSN(1947-1951)-NYG(1952)-SLB(1953)-CWS(1953)
通算成績 1978試合 .289 2061安打 170本塁打 1195打点 60盗塁 fWAR50.4
獲得タイトル:MVP1回
1947年 150試合 .317 176安打 22本塁打 113打点 3盗塁 fWAR6.3
Mr. Team
キャリアを通してシーズン100打点以上を6回もクリアした勝負どころに強い名サード。
エリオットはマイナーからメジャー3年目までは外野手としてプレーしていたが、42年に第二次世界大戦で出兵したハンドリーに代わってサードへコンバート。
コンバート1年目こそはリーグ最多の36失策、TZマイナス5と拙守が目立ったが、翌年以降は安定感が増し、球界を代表するサードに成長。
エリオットは43年に頭部にライナーが当たり、負傷してしまったこともあり、兵役を免除され、戦時下でもレギュラーとしてプレー。42年から44年にかけて3シーズン連続でMVP投票でトップ10入りを果たし、巧打のサードとしての地位を盤石のものにした。
エリオットにとって転機になったのは46年オフのボストン・ブレーブスへのトレード。
当時のエリオットはキャリアハイでも10本塁打とパワーは目立っていなかったが、打者有利のブレーブスフィールドの恩恵を受け、47年に22本塁打と中距離ヒッターに変身。
同年はキャリアハイとなる113打点をマークし、チームは優勝を逃しながらもナ・リーグMVPに選ばれている。
翌年の48年には、リーグトップかつブレーブスの球団記録となる131四球を選び、チームのリーグ優勝に大貢献。エリオットはブレーブスの中心選手として絶大な人気を誇るようになり、「ミスター・チーム」のニックネームで親しまれた。
エリオットは引退後、マネージャー職に転向。1960年にはカンザスシティ・アスレティックスの監督に就任するも、勝率.377で最下位に沈み、メジャーでの監督生活は1年で終わってしまった。