ルー・ブードロー
CLE(1938-1950)-BOS(1951-1952)
通算成績 1646試合 .295 1779安打 68本塁打 789打点 51盗塁 fWAR64.4
獲得タイトル:MVP1回、首位打者1回
1948年 152試合 .355 199安打 18本塁打 116打点 3盗塁 fWAR10.9
ブードロー・シフト
昨今のMLBでは左のプルヒッターに対してサードをがら空きにして守るなど、極端な守備シフトを敷くケースは日常茶飯事だが、こうした守備シフトを戦略として本格的にはじめて取り入れたのがブードロー監督だ。
ブードローは1940年にインディアンズのショートに定着。レギュラー2年目の41年オフに当時の監督がGMに昇格したタイミングで、空席になった監督の座に自ら名乗りをあげ、24歳の若さ*1で選手兼監督に就任。
ブードローはショートという負担の大きいポジションを守りながら、インディアンズの監督を50年まで勤めあげ、名采配でチームを常勝軍団につくりかえた。
ブードローは46年にプルヒッティングで知られるテッド・ウィリアムズ対策で野手全員がライト方向にシフトする通称ブードローシフトを敢行。このブードローシフトにより、テッド・ウィリアムズから長打を打たれるリスクが大幅に下がり、カーディナルスなど追随する球団もあらわれた。
また、47年にはア・リーグとしては最初のアフリカ系アメリカ人のラリー・ドビーを起用し、MLBにおける人種の壁の撤廃に一役買っている。
ブードローにとっての最高のシーズンは1948年。同年はキャリアハイとなる打率.355、18本塁打とバッティングでもチームを引っ張り、ワールドシリーズ制覇を実現。オフにはア・リーグMVPに選ばれている。
ブードローは1951年にレッドソックスに移籍。新天地のレッドソックスでも選手兼監督を務めあげた。
ブードローは1952年に選手としての現役を退いたものの、その後もレッドソックス、アスレティックス、カブスの監督として指揮をとり、通算1162勝をあげている。
1970年には選手兼監督としての活躍が評価され、得票率77.3%で殿堂入り。
ブードローの背番号5はインディアンズの永久欠番に指定されている。
査定に関して
守備A・守備職人
ブードローはショート守備の達人。通算のTZはプラス115、今回作成した48年にはプラス20をマークしている。
粘り打ち・窮地◯・選球眼
ブードローは通算のK%が4.4%と三振をほとんどしないバッター。
1948年はわずか9三振ながら98個のフォアボールを選ぶという、思わず2度見するような成績を残しており、これを受け、ストライクカウントが増えるごとにミートがアップする窮地◯を採用している。
*1:これはMLBの最年少監督記録となっており、今後も更新されることはなさそうだ