NishiのパワプロMLB査定ブログ

パワプロ2024で作ったMLB選手を公開していきます。

パワプロ2025 ラルフ・カイナー 1949年 パワナンバー

ラルフ・カイナー

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PIT(1946-1953)-CHC(1953-1954)-CLE(1955)

 

通算成績 1472試合 .279 1451安打 369本塁打 1015打点 22盗塁 fWAR47.4

獲得タイトル:本塁打王7回、打点王1回

 

1949年 152試合 .310 170安打 54本塁打 127打点 6盗塁 fWAR7.8

 

Kiner's Corner

ルーキーイヤーの1946年から7シーズン連続で本塁打王に輝いた怪物スラッガー。

 

カイナーは1946年にメジャーデビューを果たすと、23本塁打を放ち、いきなり本塁打王のタイトルを獲得。

 

オフにはチームメイトのユダヤ系最強スラッガーことハンク・グリーンバーグからプルヒッティングの薫陶を受けると、当時のパイレーツの本拠地フォーブス・フィールドが右打者有利だったこともあり、翌年に51本塁打と球界を代表するホームランバッターに覚醒した。

 

カイナーは1947年から5シーズン連続で40本塁打以上を記録。1949年には当時のナ・リーグ記録には2本及ばなかったものの、1939年から60年までのMLB最多記録となる54本塁打を放ち、シーズン50本塁打以上を2度記録した最初のナ・リーグの選手となった。

 

カイナーがホームランを量産する一方で、パイレーツは下位に低迷。1953年には当時のGMブランチ・リッキー氏が「カイナーがいてもいなくても最下位には変わりがない」というコメントを残し、10選手が絡むトレードでカブスに移籍。

 

カイナーはこの時点ではベーブ・ルースの通算本塁打記録を抜くのも時間の問題とまで言われていたが、背中を故障した影響で32歳の若さで現役引退を余儀なくされた。

 

引退後はメッツの解説者として大活躍。カイナーは選手名を頻繁に間違えるなど、ちょっと抜けているところもあったが、そうした面もファンに愛され、53年に渡ってマイクを握り続けた。

 

カイナーは通算成績こそは早期の引退で伸び悩んだが、7シーズン連続本塁打王のインパクトは絶大で、1975年には殿堂入りを果たしている。

 

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査定に関して

引っ張り屋

カイナーがプレーしたパイレーツの本拠地フォーブス・フィールドは、当時右のプルヒッター ハンクグリーンバーグのために左翼フェンス手前に「グリーンバーグ・ガーデン」と呼ばれるラッキーゾーンを設置。

 

グリーンバーグは1年でチームを去ったため、本人はその恩恵にさほどあづかれなかったが、カイナーは極端なプルヒッティングで「グリーンバーグ・ガーデン」にホームランを量産。

 

カイナーの活躍で、この特別ゾーンは「カイナーズ・コーナー」と名前を改めることになった。

 

関連選手:ハンク・グリーンバーグ

nishi-pawamlb.com

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