NishiのパワプロMLB査定ブログ

パワプロ2024で作ったMLB選手を公開していきます。

パワプロ2025 テッド・ウィリアムズ 1941年 パワナンバー

テッド・ウィリアムズ

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BOS (1939-1942, 1946-1960)

 

通算成績 2292試合 .344 2654安打 521本塁打 1839打点 24盗塁 fWAR129.8

獲得タイトル:MVP2回、首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回

 

1941年 143試合 .406 185安打 37本塁打 120打点 2盗塁 fWAR11.5

 

最後の4割打者

歴代最強打者論争で必ず名前が上がる稀代の天才打者。

 

ウィリアムズはルーキーイヤーから打率.327、31本塁打、リーグトップかつ、MLB新人記録となる145打点とバッティングは完成されており、MVP投票でも4位に入る大活躍。


メジャー3年目の41年には48試合連続安打を記録するなど、神がかったバッティングを披露し、シーズン残り2試合の時点で打率.400。ジョー・クローニン監督は欠場を進めたが、ウィリアムズはそれを断り、8打数6安打と大暴れ。最終的に1924年以降では最高の数字となる打率.406をマークし、初の首位打者に輝いた。


ちなみに1941年時点では犠牲フライも打席数にカウントされていたため、今日のルールに置き換えると打率.411になるらしい。


同年の成績はMLB史上歴代最高の打撃成績のひとつとみなされており、同年の出塁率.533、OPS1.287は当時のMLB記録。この二つの記録を上回ったのはボンズだけであり、クリーンな記録という意味では現在も破られていない。


なお、同年はMVP有力候補であったものの、MLB記録となる56試合連続安打を放ったジョー・ディマジオのインパクトには敵わず、惜しくも逃す結果となった。


翌年の42年には打率.356、36本塁打、137打点で自身1回目の三冠王に輝くも、1943年から兵役でチームを離脱。海軍時代は抜群の動体視力を活かして航空機のパイロットに任命され、敵機を複数撃墜。


チームに復帰した46年も打率.342、38本塁打、123打点とブランクを全く感じさせない成績を残し、MVPのタイトルを獲得。翌年には、打率.343、32本塁打、114打点で自身2度目の三冠王に輝いている。


ウィリアムズは50年代に入ると故障や肺炎、私生活では離婚と苦境に立たされたが、それでも毎年のように首位打者争いに加わり、39歳を迎えた57年には打率.388で自身5度目の首位打者のタイトルを獲得。


ラストイヤーとなる1960年も打率.316、29本塁打と42歳とは思えない成績をマークし、衰えをほとんど見せずにキャリアを終えた。


ウィリアムズの通算打率.344はMLB歴代11位、第二次世界大戦以降にプレーした選手の中では歴代1位の数字。また、通算出塁率.482もMLB記録であり、もし第二次世界大戦と朝鮮戦争で5シーズン離脱していなければ、通算3000安打、600本塁打もゆうに超えていたと思われる。


こうした輝かしい数字もあり、1966年には有資格1年目で殿堂入り。ウィリアムズは殿堂入りのスピーチでニグロリーグで活躍したアフリカ系アメリカ人の殿堂入りを進言。それを受け、サチェル・ペイジら数々のニグロリーグのレジェンドが殿堂入りを果たすことになった。

 

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査定に関して

守備D・捕球F

バッティングは完璧であった一方、外野守備は本人も認めるようにそれほど上手くなく、トータルゾーンもマイナス3。

また、同年はリーグ最多の10失策、守備率.953と捕球にもやや難があった。

 

一球入魂

ウィリアムズは初球から振っていくタイプではなかったが「ファーストストライクを狙うことが強打者になる第一の秘訣」と語っており、全盛期のマイク・トラウトのように甘く入った初球はかなりの確率でヒットにしていたと思われる。

 

プルヒッター

ウィリアムズは生粋のプルヒッター。その対策としてインディアンズの選手兼監督ブードローは守備位置をライト方向に極端に寄せる、通称ブードローシフトを敷いたことで知られている。

 

固め打ち

1941年は4度の1試合4安打を含む猛打賞を18回記録している。

 

粘り打ち窮地◯

ウィリアムズは待球タイプのバッターだったが、三振も極めて少なく、41年はわずか27三振。

 

威圧感

41年はリーグ最多の25敬遠と勝負を避けられる場面が目立った。

 

対変化球◯

ウィリアムズはピッチャーの癖を研究するタイプで、球種によって生じる微妙なモーションの変化も見逃さなかった。

 

選球眼

ウィリアムズの最大の武器は選球眼。抜群の動体視力に裏付けされたゾーン管理は神の領域であり、1941年は147四球。そこから6シーズン連続でリーグ最多のフォアボールを選んでいる。三冠王に輝いた47年には出場試合数を上回る162四球とボンズクラスの数字を残している。

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