スタン・ミュージアル
STL(1941-1944,1946-1963)
通算成績 3026試合 .331 3630安打 475本塁打 1951打点 78盗塁 fWAR126.4
獲得タイトル:MVP3回、首位打者7回、打点王2回
1948年 155試合 .376 230安打 39本塁打 131打点 7盗塁 fWAR11.0
The Man
キャリア通算打率.331、MLB歴代4位となる3630安打、ルーキーイヤーの42年から16シーズン連続で3割越えなど、数々の輝かしい記録を打ち立てた強打者。
ミュージアルはマイナー時代、先発と外野をこなす二刀流としてプレー。
1940年には投手として18勝、打者として打率.311の好成績を残したが、同年8月に外野守備の際、左肩を負傷し、球速がダウン。それを受け、翌年から外野手に本格転向し、二刀流は封印された。
ミュージアルは1941年9月にメジャーデビュー。翌年の42年にはルーキーながら打率.315をマークし、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。
ここからミュージアルは、16シーズン連続で3割オーバー、7回の首位打者獲得と球界を代表するヒットマシーンに台頭。
ミュージアルは1947年までは最高で19本塁打と、いわゆる中距離ヒッターだったが、48年に39本塁打と突如パワーが開眼。同年はリーグトップの打率.376、131打点をマークしており、本塁打もあと1本出ていれば三冠王とキャリア最高のシーズンをおくった。
1950年代に入ってもミュージアルは4度の首位打者に輝くなど、バッティングは色褪せず、1958年には史上8人目となる3000本安打を達成。
59年からは3シーズン連続で打率3割をきってしまい、限界説も囁かれたが、62年に打率.330と復活を果たし、現役引退時の通算安打数3630は当時のナ・リーグ記録であった。
引退後はカーディナルスのフロントに入り、67年にGMに就任。翌年にはボブ・ギブソンの活躍もあり、GM1年目でワールドシリーズ制覇を成し遂げている。
1969年には有資格1年目で殿堂入り。ミュージアルはカーディナルスのフロント職に加え、ステーキハウスの経営、不動産、ハーモニカ奏者など様々な分野で成功をおさめた。
査定に関して
対左B
ミュージアル本人は左投手は苦手と語っていたが、48年は対左投手打率が.411とむしろ得意としていた。
走塁B
純粋なスピードはそれほど早くなかったが、ベースランニングはかなり上手く、キャリアを通して177本のスリーベースヒットを記録。今回作成した48年もリーグ最多の18三塁打を放っている。
広角打法
マイナー時代から満遍なく打球を飛ばせると定評があった。
固め打ち
ミュージアルは一度打ち出すと止まらないバッター。48年は4度の1試合5安打、6度の1試合4安打を記録。猛打賞はのべ27回と金特のメッタ打ちをつけるか検討するレベル。
チャンスメイカー
48年はリードオフの場面で打率.488と驚異的なアベレージを記録。
インコースヒッター
ミュージアルは49年に外角攻めをされ、調子を落としたというエピソードから、アウトコースが苦手、すなわちインコースを得意としていたことが窺える。
満塁男
48年は満塁の場面で打率.563、グランドスラムも1本放っている。
サヨナラ男
48年は2本のサヨナラ本塁打を記録。