ジョージ・ブレット
KC(1973-1993)
通算成績 2707試合 .305 3154安打 317本塁打 1595打点 201盗塁 fWAR84.6
獲得タイトル:MVP1回、首位打者3回、シルバースラッガー賞3回、ゴールドグラブ賞1回
1980年 117試合 .390 175安打 24本塁打 118打点 15盗塁 fWAR9.1
Gorgeous George
MLB史上5人*1しかいない通算3000安打・300本塁打・打率.300をクリアしたロイヤルズのフランチャイズプレイヤー。
ブレットは76年、80年、90年と異なる3つのディケイドで首位打者に輝いた唯一の選手であり、1980年にはテッド・ウィリアムズが記録した4割という伝説の数字に迫る打率.390をマーク。
同年は故障離脱した6月10日までは打率.337であったが、故障から復帰後の7月18日から30試合連続安打を記録し、8月17日に打率4割の壁を突破。
その後もブレットは9月19日まで4割をキープしていたが、終盤で調子を落とし、惜しくも4割を逃してしまった。
同年はブレットの活躍で地区優勝を決め、ワールドシリーズにも出場。ところがあろうことかブレットはワールドシリーズ中に深刻な痔になり、第3戦を前に手術を受けることに。
ロイヤルズはワールドシリーズでフィリーズに敗れ、ブレットはしばらく痔に苦しんだ選手とネタにされてしまった。
その後、85年にブレットは打率.335、キャリアハイの30本塁打、112打点をマーク。同年はポストシーズンでも打率.360とヒットを量産し、ロイヤルズ初のワールドシリーズ制覇の立役者となった。
ブレットは引退後、有資格1年目の1999年に得票率98.2%と圧倒的な支持を受け、殿堂入り。ブレットはロイヤルズのフランチャイズプレイヤーとしてキャリアを満了したため、大体の打撃成績が球団記録となっている。
ブレットはヤンキースとやたら確執があることでも有名。1977年のリーグチャンピオンシップでは、三塁に滑りこむ際、グレイグ・ネトルズに頭を蹴られ、そこから大乱闘に発展。
1983年7月24日には、ブレットがゴセージから本塁打を放ったが、その際、バットに規定以上の松ヤニがついていることをマーティン監督が指摘し、本塁打は取り消しに。
試合もヤンキースの勝利で幕を閉じたが、後日異議申し立てが支持され、8月18日にブレットの本塁打から再試合になり、この一連の騒動は「パインタール事件」と呼ばれるようになった。
なお、ブレット本人はこの事件までは「痔になった人」扱いが先行していたが、この事件以降、「パインタール事件の人」扱いに変わり、ブレットはこの出来事を好意的に捉えている模様。
ちなみに「パインタール事件」で使用したバットはのちにブレットにより殿堂博物館に寄贈され、飾られているという。
査定に関して
チャンスB
1980年の得点圏打率は.469!
対左F
ブレットの左右別成績は
・対右投手:打率.437、OPS1.264
・対左投手:打率.319、OPS.890
と左投手には若干弱い。
走塁A
ブレットは超俊足というわけではないが、ベースランニングの技術は高かったようで、キャリアを通して3度のシーズン最多三塁打を記録。
1979年にはMLB史上5人目のシーズン20二塁打・20三塁打・20本塁打を記録している。
また、今回作成した1980年にはランニングホームランも1本記録している。
威圧感
ブレットは1979年ごろから勝負を避けられる場面が目立ち、1985年から2シーズン連続でリーグ最多敬遠を記録。ちなみに今回作成した1980年も117試合の出場ながら16敬遠されている。
ラインドライブ
ブレットは生粋のラインドライブヒッター。
満塁男
1980年は満塁の場面で打率.571、OPS2.238ともはや敬遠した方が良いレベルで打ちまくった。
サヨナラ男
1980年9月30日のマリナーズ戦で延長14回裏にサヨナラホームラン。
*1:スタン・ミュージアル、ウィリー・メイズ、ハンク・アーロン、ミゲル・カブレラ