トニー・グウィン
SD(1982-2001)
通算成績 2440試合 .338 3141安打 135本塁打 1138打点 319盗塁 fWAR65.0
獲得タイトル:首位打者8回、シルバースラッガー賞7回、ゴールドグラブ賞5回、ロベルト・クレメンテ賞1回
1994年 110試合 .394 165安打 12本塁打 64打点 5盗塁 fWAR4.0
Captain Video
第二次世界大戦以降にメジャーデビューした選手の中では歴代1位の通算打率.338を誇る球界最高のヒットメイカー。
グウィンはルーキーイヤー以外の全てのシーズンで3割以上をマークし、1987年から89年にかけて3シーズン連続で首位打者のタイトルを獲得。
80年代のグウィンは俊足・堅守のコンタクトヒッターであり、イメージとしては肩を弱くしたイチローのような選手だった。
グウィンは1990年代に入ると体重が大幅に増え、でっぷりとした体型に変化。また、膝を痛めた影響でスピードも失われたが、バッティングはむしろ磨きがかかり、1993年から5シーズン連続で打率.350オーバー。
1994年にはキャリアハイかつ、幻の4割に迫る打率.394というハイアベレージを記録。同年は後半戦28試合で打率.423と調子を上げていたタイミングでストライキに突入し、シーズン終了となったが、もしこのままシーズンが続いていればテッド・ウィリアムズ以来の4割打者になっていてもおかしくはなかった。
グウィンは晩年、ふくらはぎや膝の故障でフルシーズンプレーすることが出来なくなり、代打での起用も増加。それでも1999年には史上22人目かつ、史上3番目のスピードで3000本安打を達成している。
グウィンは現役時代、サンディエゴ・パドレス一筋でプレー。引退後は母校のサンディエゴ州立大学の監督に就任と、サンディエゴ愛に溢れた選手。こうした経歴からグウィンはパドレスファンから絶大な人気を誇っていた。
グウィンは現役時代からMLBにおける薬物の蔓延に警鐘を鳴らしていたことでも有名。グウィンはクリーンな選手であったものの、噛みタバコを30年間常用し、ほぼ依存状態に。
その結果、グウィンは2010年に唾液腺癌と診断され、その影響で2014年に54歳の若さでこの世を去っている。
グウィンの死は野球界にもかなりのインパクトだったようで、2016年からは試合中の噛みタバコの使用が禁止され、ストラスバーグやクリス・セールら多くの選手が禁煙に取り組みはじめた。
査定に関して
芸術的流し打ち
グウィンは三遊間を狙って打つのが天才的に上手く、本人も左中間に飛ばすのが理想のバッティングと語っていた。
プルヒッター
グウィンは1994年にテッド・ウィリアムズからプルヒッティングの極意を学び、この年からライト方向への長打が増加。
1997年には17本塁打と晩年は中距離ヒッターに変貌していた。
悪球打ち
グウィンは同年代にプレーしたウェイド・ボッグスと比較されることが多いが、決定的に違う点がある。それはボッグスがゾーン外のボールに手を出さなかったのに対して、グウィンはゾーン外のボールも積極的に打ちにいくスタイルだったことで、フォアボールもあまり選ばなかった。
Nishiのこぼれ話
グウィンは若手時代から研究熱心で、自宅には700人を超える投手の映像をおさめたビデオが揃っていたという。ニックネームのキャプテン・ビデオはこのエピソードにちなんでつけられた。
関連選手:同年代に活躍したア・リーグのヒットマシーン
ウェイド・ボッグス