フランク・トーマス

CWS(1990-2005)-OAK(2006)-TOR(2007-2008)-OAK(2008)
通算成績 2322試合 .301 2468安打 521本塁打 1704打点 32盗塁 fWAR72.0
獲得タイトル:MVP2回、首位打者1回、シルバースラッガー賞3回、カムバック賞1回
1994年 113試合 .353 141安打 38本塁打 101打点 2盗塁 fWAR7.0
Big Hurt
1993年から2年連続でMVPに輝いた1990年代最強のパワーヒッター。
トーマスは卓越した選球眼と鉄筋を振り回す独自のトレーニングで鍛えたパワーを武器にメジャー2年目の1991年に打率.318、32本塁打、109打点、138四球という好成績をマーク。
トーマスは同年からMLB史上初となる7シーズン連続で3割・20本塁打・100打点・100四球という偉業を達成。
1994年にはストライキで短縮シーズンとなった影響でわずか113試合の出場ながら38本塁打(フルシーズン換算で54本塁打)と驚異的なペースで打ちまくり、あわや三冠王の大活躍。
また、同年は109四球とほぼ1試合に1個のペースでフォアボールを選び、出塁率.494と全盛期のボンズクラスの数字を記録。こうした点が評価され、オフにはナ・リーグの野手としては62年のロジャー・マリス以来となる2シーズン続けてのMVPに輝いた。
トーマスは1990年代後半から故障の影響でDHとしての出場が増加。2000年代に入ってからはフルタイムのDHに完全転向。
守備負担が減ったことでトーマスは2000年にキャリアハイとなる43本塁打をマークするなど、リーグ屈指の強打者として存在感を放ったが、2001年以降度重なる故障で戦線を離れ、2005年にはチームは世界一に輝いたもののトーマスはポール・コナーコの台頭もあり、事実上のDFAとなってしまった。
トーマスはアスレティックスに加入した2006年に39本塁打とプチ復活したが、2008年以降は再び故障に悩まされ、2010年をもって現役を引退。
トーマスが全盛期を送った1990年代はマグワイア、ソーサ、ボンズとドーピングに手を染めた強打者が多かった中、トーマスは1995年からMLBにおけるアンチドーピングを訴えるなどクリーンな選手であり、こうした功績が讃えられ、2014年に有資格1年目で殿堂入り。
なお、トーマスは強打のファースト、ジェフ・バグウェルとは生年月日が同じ。バグウェルとの関係はあまり良くはなく、ドーピングをしていたバグウェルが殿堂入りしたことに対して憤慨していた。




Nishiのこぼれ話
トーマスは引退後、2013年から2年連続でとんねるずの「リアル野球BAN」に参戦。
その時の肩書きは江戸川区出身、帝京高校では石橋貴明の後輩の「藤増(とうます)君」という設定だった。
関連選手:生年月日を同じくする殿堂入りファースト
ジェフ・バグウェル