石井一久

ヤクルト(1992-2001)-LAD(2002-2004)-NYM(2005)-ヤクルト(2006-2007)-西武(2008-2013)
MLB通算成績 105登板 39勝34敗 防御率4.44 435奪三振 fWAR2.6
獲得タイトル:特になし
2002年 28登板 14勝10敗 防御率4.27 143奪三振 fWAR0.6
あのGM
ノーコン投手は大成できないというジンクスを覆し、日米通算で182勝をあげた先発左腕。
ヤクルト時代の石井は最速154キロ、平均140キロ台中盤と当時の左投手としてはトップクラスのスピードを誇り、決め球のスラーブとのコンビネーションで三振を量産。
1998年にはリーグ最多の241奪三振、当時のNPB記録となる奪三振率11.04をマーク。一方でキャッチャーを務めた古田がのちに「石井とバッテリーを組む時はど真ん中に構えていた」と語るようにコントロールは壊滅的で同年はリーグ最多の105のフォアボールを与えてしまっている。
石井は2001年オフにメジャー挑戦を宣言し、ドジャースと3年1230万ドルとMLBでの実績のない投手としてはなかなかの規模の契約を締結。
ドジャース1年目は相変わらずノーコンだったものの、速球のスピードと自慢のスラーブはメジャーでも威力を発揮し、前半戦は11勝、防御率3.58とエース級の成績をマーク。
しかし、後半戦は53.1イニングで42四球とただでさえ悪かったコントロールが壊滅的な状況になり、防御率も5.57と失速。
さらに9月8日のアストロズ戦でハンター選手が放ったピッチャーライナーが頭部に直撃し、頭蓋骨に亀裂が入る大怪我を負い緊急入院。石井は大事をとってシーズン終了となった。
ドジャース時代の3年間は先発ローテーションの一角としてのべ36勝とまずまずの成績を残したが、メッツでは故障の影響もあり3勝と苦しみ、2005年オフに再びヤクルトに復帰した。
NPBに復帰を果たしてからの石井はかつてのような速球でごり押すスタイルから多彩な変化球を織り交ぜ、打ち取る技巧派(コントロールは相変わらずだったが)スタイルに転向。
新しい友人を求め加入したライオンズでも左のエースとして活躍。200勝まであと18勝に迫った2013年に「マンネリ化」を理由に現役を引退。
現在は東北楽天イーグルスのGMとして賛否両論あるもののチームの全権を担っている。
球種はスラーブ、フォーク。



査定に関して
コントロールF・荒れ球・四球
2002年はリーグ最多の106四球を与え、与四球率は6.2と藤浪もびっくりなノーコンぶりを発揮。
フライボールピッチャー
石井はヤクルト時代から被本塁打が多く、ドジャースに加入した2002年もGB%38.5と典型的なフライボールピッチャーであったことが窺える。
スロースタート
2002年は初回防御率6.75と立ち上がりに大苦戦。