NishiのパワプロMLB査定ブログ

パワプロ2024で作ったMLB選手を公開していきます。

パワプロ2025 ヴァイダ・ブルー 1971年 パワナンバー

ヴァイダ・ブルー

f:id:tigpawapro:20250829205154j:image

OAK(1969-1977)-SF(1978-1981)-KC(1982-1983)-SF(1985-1986)

 

通算成績 502登板 209勝161敗 防御率3.27 2175奪三振 2セーブ fWAR49.2

獲得タイトル:MVP1回、サイ・ヤング賞1回、最優秀防御率1回

 

1971年 39登板 24勝8敗 防御率1.82 301奪三振 fWAR8.8

 

火炎放射投法

最速160キロに迫る豪速球と豪快なレッグキック投法から“火炎放射投法”と恐れられた70年代最強サウスポーのひとり。

 

ブルーは事実上のルーキーイヤーである1970年にMLB史上4番目の若さ(21歳)でノーヒットノーランと鮮烈なデビューを飾ると、翌年の71年には開幕2登板目から9度の完投を含む10連勝をマーク。

 

オールスターではア・リーグの先発投手に選ばれ、史上最年少で勝利投手となり、ブルーの名は全米のMLBファンに知られることに。ブルーは最終的に24勝、リーグトップの防御率1.82、301奪三振と圧巻の成績を残し、MVPとサイ・ヤング賞をダブル受賞した。

 

1970年代前半のアスレティックスはブルーに加え、のちの殿堂入り右腕キャットフィッシュ・ハンターを先発ローテーションに擁しており、抑えにはこれまた殿堂入り投手のローリー・フィンガーズ、打線にはレジー・ジャクソンとスター選手が揃い踏み。

 

アスレティックスは1971年から5シーズン連続で地区優勝、3度のワールドシリーズ制覇と圧倒的な強さを誇り、まさにチームとしての黄金時代を迎えていたが、新たに導入されたFA制度でチームは瓦解。ブルーも77年からトレードが画策され、78年にジャイアンツに移籍することとなった。

 

ブルーはジャイアンツでも18勝、防御率2.79、サイ・ヤング賞投票で3位とエースとして活躍していたが、80年代に入るとコカインに溺れ、キャリアは暗転。

 

1983年にはピッツバーグ薬物裁判で執行猶予つきの懲役刑が言い渡され、1年間の出場停止処分を受けることになった。

 

ブルーは1986年に10勝、防御率3.27とプチ復活を果たしたが、古巣アスレティックス復帰となった87年開幕前に電撃引退。引退理由は明かされていないが、再びコカインに溺れ、それが発覚するのを避けてのことだと噂されている。

 

ブルーの通算成績はダブルエースとして活躍したキャットフィッシュ・ハンターとはほとんど変わらないが、上記の薬物問題が尾を引き、有資格4年目で殿堂入り候補から外れてしまった。

 

とはいえ、同じようにピッツバーグ薬物裁判で執行猶予つきの懲役刑を言い渡されたデーブ・パーカーが2025年にベテランズ枠で殿堂入りしたことから、将来的にベテランズ枠で殿堂入りを果たす可能性も高いと考えられる。

 

球種はカーブ、チェンジアップ。

 

f:id:tigpawapro:20250829213258j:image
f:id:tigpawapro:20250829213255j:image
f:id:tigpawapro:20250829213251j:image
f:id:tigpawapro:20250829213302j:image

査定に関して

怪物球威

“火炎放射投法”というインパクトのある異名から箔をつけるべく金特を採用。

ブルーはこの時代の先発投手としてはトップクラスのスピードを誇り、ピート・ローズはブルーに対して「今まで対戦したどの投手よりも速い球を投げていた」と語っていた。また、セイバーの生みの親ビル・ジェームズ氏も70年代最速投手のひとりとしてブルーの名をあげている模様。

 

対ランナー◯

1971年は一塁に走者を背負った場面で被打率.160、OPS.442と冷静なピッチングが光った。

 

Nishiのこぼれ話

ブルーはMLBでもかなり珍しい左投げ・両打ちのピッチャー*1。しかし、ア・リーグでは1973年にDH制度が導入されたため、両打ちを活かす場面はほとんどなかった。

 

関連選手:アスレティックスのダブルエース

キャットフィッシュ・ハンター

nishi-pawamlb.com

*1:左投げのスイッチヒッターで思いつくのは元オリオールズのチェンくらい。NPBに範囲を広げてもモイネロくらいしかいなそう

プライバシーポリシー お問い合わせ