ファーガソン・ジェンキンス

PHI(1965-1966)-CHC(1966-1973)-TEX(1974-1975)-BOS(1976-1977)-TEX(1978-1981)-CHC(1982-1983)
通算成績 664登板 284勝226敗 防御率3.34 3192奪三振 7セーブ fWAR80.1
獲得タイトル:サイ・ヤング賞1回、最多勝利2回、最多奪三振1回、カムバック賞1回
1971年 39登板 24勝13敗 防御率2.77 263奪三振 fWAR9.6
史上最強のBlack Ace
アフリカ系アメリカ人投手としては歴代最多となる284勝、3192奪三振をマークした“Black Ace”の代表格。
ジェンキンスはカブス加入を機に球界を代表するピッチャーとして台頭し、1967年から6シーズン連続でシーズン20勝以上をマーク。
ジェンキンスにとって最高のシーズンは1971年。ジェンキンスはこの年、カブス時代では最多かつリーグトップの24勝をマーク。39登板中30試合で完投、リーグ最多の325イニングとイニングイーターとしてもトップクラスの働きぶりで、カブスの選手としては初となるサイ・ヤング賞に輝いた。
ジェンキンスのシーズン連続20勝は1973年に途切れてしまい*1、シーズン途中には現役引退を仄めかしたが、オフにレンジャーズに移籍。
レンジャーズ1年目の1975年は前年の引退宣言が嘘のような好投を披露し、キャリアハイかつリーグ最多の25勝をマーク。サイ・ヤング賞争いでは投手二冠に輝いたキャットフィッシュ・ハンターに敗れたが、MVP投票ではハンターを上回る5位に選ばれた。
ポストシーズンには縁がなかったことと、1980年にコカインの使用疑惑で20試合の出場停止処分を受けたこと以外は順風満帆なキャリアを歩み、1991年にカナダ出身選手としては史上ひとり目の殿堂入りを果たした。
一方で、自伝『The Game Is Easy, Life Is Hard(試合は簡単だが、人生は難しい)』というタイトルからも想像がつくように私生活は相当にハードモード。ジェンキンスは1970年に母親を亡くし、88年には2人目の妻が交通事故で死亡。さらに92年には当時の婚約者がジェンキンスの子どもを道連れに自殺…。
こうした壮絶な体験もあってジェンキンスはチャリティ活動を熱心に行うようになり、ファギー・ジェンキンス財団を設立している。
ちなみにジェンキンスは母国カナダ🇨🇦で一番有名なメジャーリーガーとのことで、カナダではジェンキンスの切手が発行されていたらしい。
球種はツーシーム、スライダー、カーブ、フォーク。





査定に関して
コントロールS
ジェンキンスはストライクゾーンにどんどん投げ込むスタイルで、1970年から9シーズン連続で与四球率は1点台。1971年は1.02と圧巻の数字を残し、K/BBは7.11と超高水準だった。
投打躍動
ジェンキンスはバッティングにも自信ニキで、キャリア通算で13本塁打を記録。1971年には純粋な投手としてのシーズン9位記録となる6本塁打を放っている。
一発
ジェンキンスは前述のようにストライクゾーンにどんどん投げ込むスタイルから被弾も多く、キャリア通算で484本もの本塁打を献上。1971年もリーグ最多の29被弾を浴びている。
*1:この年の成績は14勝16敗