トミー・ジョン

CLE(1963-1964)-CWS(1965-1971)-LAD(1972-1974,1976-1978)-NYY(1979-1982)-CAL(1982-1985)-OAK(1985)-NYY(1986-1989)
通算成績 760登板 288勝231敗 防御率3.34 2245奪三振 3セーブ fWAR79.4
獲得タイトル:カムバック賞1回、ルー・ゲーリック賞1回
1979年 37登板 21勝9敗 防御率2.96 111奪三振 fWAR6.9
Bionic Man
肘の内側側副靱帯再建手術、通称“トミー・ジョン手術”の名前の由来になったメジャーリーガー。
トミー・ジョンは1960年台のシカゴ・ホワイトソックスの左のエースとして毎年のように二桁勝利をマーク。
1971年オフにのちの殿堂入り野手ディック・アレンとのトレードでドジャースに加入してからも右のサットン、左のジョンと先発ローテーションの中核を担い、1974年シーズンも7月17日の時点でリーグトップの13勝をマークしていたが、試合中に左肘の靱帯を断裂。
当時は当然、肘の靱帯を回復させる手術など存在せず、選手生命は絶望、日常生活にも影響を与えるレベルの大怪我だったが、当時のドジャースの医療スタッフのひとり、フランク・ジョーブ氏が切れてしまった肘の靱帯の代わりに右手首の腱に置き換える手術を提案し、3時間に及ぶ大手術を受けることに。
当時はこの手術を受けたのもジョンしかおらず、リハビリのノウハウも全く確立されていなかった中、ジョンは必死のリハビリをこなし、手術から約1年後には教育リーグのマウンドに立てるほどに回復。
ジョンは1976年にドジャースに復帰すると、ここから現役を引退した1989年まで肘の故障とは無縁のピッチングを続け、ヤンキース移籍後の79年からは2年連続で20勝をマーク。
特に今回作成した1979年は勝利数、防御率ともにリーグ2位*1という好成績で、サイ・ヤング賞投票でも自己ベストとなる2位に選ばれた。
トミー・ジョンは手術後にのべ164勝を積み上げ、投手として実働26年は引退時点でMLB1位タイの大記録*2。
通算288勝と個人的には殿堂入りしても全く不思議ではない成績を残しながら、記者投票では最高でも31.7%と得票が伸びず*3、2009年をもって候補者リストから外れてしまった。
なお、現在はベテランズ委員会で度々殿堂入り候補として名前があがっているようで、トミー・ジョン手術を考案したフランク・ジョーブ氏やこの手術の権威で知られるジェームズ・アンドリュース氏とともにベテランズ枠で殿堂入りする可能性は高いと思われる。
球種はカーブ、Hシンカー、スクリュー。
ジョンのシンカーはいわゆるハードシンカーであり、画像のようなオリ変で再現。スクリューはチームメイトのマイク・マーシャルの影響と考えられるが、肘を捻る動作が負担となり、靱帯断裂に繋がってしまったと言われている。





査定に関して
148キロ
トミー・ジョン=左の技巧派シンカーボーラーというイメージがあったが、ヤンキース時代には92マイルを計測していた模様。
不屈の魂
回復できる可能性は1%と言われた大手術から、過酷なリハビリを経て再起を果たしたことにちなんで。
また、トミー・ジョンはヤンキース時代の81年に三男のトラビスが3階から転落し、意識不明の昏睡状態になるという緊急事態を経験。その際、ジョンは、息子が意識を取り戻すまでホーム以外ではプレーしないという判断をし、「困難な状況を乗り越えるために何をすべきかよく分かっている」と賞賛と励ましの声を集めた。なお、トラビスは無事意識を取り戻し、ポストシーズンでは始球式も務めたとのこと。