ジミー・フォックス

PHA(1925-1935)-BOS(1936-1942)-CHC(1942-1944)-PHI(1945)
通算成績 2317試合 .325 2646安打 534本塁打 1922打点 87盗塁 fWAR101.4
獲得タイトル:MVP3回、首位打者2回、本塁打王4回、打点王3回
1932年 154試合 .364 213安打 58本塁打 169打点 3盗塁 fWAR11.3
Double X
現役を退いた1945年の時点でベーブ・ルースに次ぐMLB歴代2位の534本塁打、歴代5位の1922打点を記録した1930年代最強のパワーヒッター。
フォックスは1925年にキャッチャーとしてフィラデルフィア・アスレティックスでメジャーデビュー。当時のアスレティックスには殿堂入り捕手ミッキー・コクランが在籍していたため、なかなか出場機会に恵まれず、1929年にファーストにコンバート。
このコンバートにより、出場機会を増やしたフォックスは同年から12シーズン連続で30本塁打・100打点とベーブ・ルースやルー・ゲーリックと肩を並べる強打者として大活躍。
1932年にはベーブ・ルースが記録したシーズン60本塁打にせまる58本塁打を記録*1。同年はリーグトップの169打点、リーグ2位の打率.364、MLB歴代5位の塁打数438と球史に残る打撃成績を叩き出し、キャリア初となるMVPに輝いた。
フォックスは翌年の33年に打率.356、48本塁打、163打点で三冠王に輝き、2年続けてMVPを受賞。2年続けてリーグ最高クラスの成績を残したにも関わらず、オーナーのマック氏がまさかの減俸を提示し*2、フォックスは激怒。最終的に年棒は増額されたが、フロントとの関係は悪化。1935年オフにはトレードでレッドソックスに移籍することとなった。
レッドソックスでもフォックスのバッティングは健在。1938年には球団記録となる50本塁打*3、175打点を記録している。
晩年は副鼻腔炎に苦しみ、そのストレス解消のためかアルコールに溺れてしまった。しかし、フォックスは、他のアルコール依存症になってしまったメジャーリーガーとは異なり、周囲に暴力を振るったり、チームの輪を乱すような行動はとっておらず、穏やか性格からチームメイトから慕われていたようだ。
フォックスは1951年にメル・オットーとともに殿堂入りを果たし、52年からは女子プロ野球リーグの監督としても活躍。
しかし、その後は石油会社や、自動車販売など様々なビジネスに手を出すも上手くいかず、58年には自己破産。60年代に入ってからはステーキハウスのスタッフとして勤務と、レジェンドにしては残念な晩年を過ごした。




査定に関して
肩B
フォックスは元キャッチャーということもあり、強肩で知られ、晩年の45年には投手として9登板、防御率1.59の好成績を残した。
キャッチャーF
ファーストにコンバートされてからも時折、キャッチャーを守っており、1935年には26試合でマスクをかぶっている。
アーチスト
同年代に活躍したファースト、ルー・ゲーリックはヤンキースタジアムの地の利を生かしてライナー性の当たりでホームランを量産していたが、フォックスは「髪の毛まで筋肉で出来ている」と言われるほどのパワーでホームランを量産していた模様。当時の写真からも筋骨隆々とした体つきがよく分かる。
Nishiのこぼれ話
フォックスは日本での知名度はルース、ゲーリックと比べて低いが、実績はMLBでもトップクラス。MLBでもフォックスの功績は再評価されているらしく、MLB史上12人しかいない通算400本塁打・出塁率4割といった数字にフォーカスが当てられている。