ハック・ウィルソン

NYG(1923-1925)-CHC(1926-1931)-BRO(1932-1834)-PHI(1934)
通算成績 1348試合 .307 1461安打 244本塁打 1063打点 52盗塁 fWAR42.0
獲得タイトル:本塁打王4回、打点王2回
1930年 155試合 .356 208安打 56本塁打 191打点 3盗塁 fWAR8.0
ナ・リーグのルース
1930年にMLB記録となるシーズン191打点を叩き出したナ・リーグのベーブ・ルース。
ウィルソンは大きな顔、短く小さな手足、低身長(168センチ)と胎児性アルコール症候群*1の兆候が強く見られたメジャーリーガー。
ウィルソンはそんな逆境を乗り越え、強打の外野手として台頭し、1926年から30年にかけて4度のホームランキングのタイトルを獲得。
1930年には当時のナ・リーグ記録となるシーズン56本塁打*2、現在でもMLB記録となるシーズン191打点という大記録を樹立。
驚異的なバッティングからナ・リーグのベーブ・ルースと持て囃されたが、ウィルソンは翌年以降、ただでさえ酷かったアルコール依存症が悪化。激太りしてキャンプインすると、打席でも集中力を欠き、112試合でわずか13本塁打にとどまってしまった。
ウィルソンはドジャースに移籍した1932年に打率.295、23本塁打と復調の兆しを見せたが、翌年以降は再びアルコール依存症に苦しみ、1934年に35歳の若さで現役を引退した。
引退後はビリヤード場やナイトクラブの経営に乗り出したが、上手くいかず、晩年はボルチモアの公営プールの管理人をしていた模様。
アルコールに溺れ、キャリアを棒にふったメジャーリーガーが数多くいるが、ウィルソンはまさにその典例。ウィルソンは亡くなる直前に「才能だけでは十分ではない。常識と適切なアドバイスを聞き入れる謙虚さが必要だ」と自分を反面教師にしてほしいと語っていた。




査定に関して
守備E・捕球F・エラー
ウィルソンは1927年に400捕殺とセンター守備の名手だったが、アルコールに溺れてからは、試合中も酔っ払っていたようで、プレーするのもやっとの状況に。その影響か1930年は19失策、TZでもマイナス10と足を引っ張ってしまった。
チャンスD
シーズン191打点となれば、チャンスAないし勝負師をつけたいところだが、この年の得点圏打率は.362と、得点圏にランナーがいない場面での打率とさほど変わらず、OPSに至っては低かった。
なぜ、これほどまでに打点を積み上げることができたかというと、1930年はリーグ平均打率が.303、チーム打率は.309とダイハード打線もびっくりな超打高環境だったことが要因で、さすがにまずいと考えたMLB機構によって翌年以降はボールが飛びにくいものに変更されている。
広角打法
ウィルソンはリグレーフィールドのセンターのスコアボードに直撃する特大弾を放つなど、センター方向にも長打を放てるバッターだった。
対ストレート◯
ウィルソンが翌年以降、低迷した理由として、アルコール依存症以外にボールの変更で変化球が曲がりやすくなり、その対応に苦しんだことも指摘されている。このエピソードからもウィルソンが速球を得意としていたことが伺える。