メル・オット

NYG(1926-1947)
通算成績 2730試合 .304 2876安打 511本塁打 1860打点 89盗塁 fWAR110.1
獲得タイトル:本塁打王6回、打点王1回
1929年 150試合 .328 179安打 42本塁打 151打点 6盗塁 fWAR8.0
元祖一本足打法
ジャイアンツ一筋、一本足打法でホームランを量産した左打者と何かと王貞治氏と共通点が多いことでも有名な1930年代最強スラッガーのひとり。
オットは学生時代にキャッチャーとしてプレーしていたが、ジャイアンツの監督マグロー氏のアドバイスで強肩を活かすべく、外野手に転向。
オットはメジャー3年目の1928年にライトのレギュラーに定着。翌年の29年には痛烈なプルヒッティングでホームランを量産し、20歳以下のメジャーリーガー記録となる42本塁打、151打点を記録。
また、オットは強肩とライトスタンドまで76メートルという極端な設計で知られるポログラウンドの地の利を味方につけ、リーグ最多の26刺殺をマーク。翌年以降は、敵チームがオットの強肩を警戒し、タッチアップに慎重になったと言われている。
シーズンのホームラン数自体は1929年がピークだったが、1930年代に入ってからも球界屈指のパワーヒッターとして大活躍。1936年から3シーズン連続を筆頭に、のべ6度のホームランキングのタイトルを手にしている。
オットは現役を引退した1947年の時点でナ・リーグの選手としては歴代1位の通算511本塁打を放ち、これは両リーグ合わせてもルース、フォックスに次ぐ3位という大記録。
1951年にはこうした輝かしい実績が評価され、フォックスとともに殿堂入りを果たしている。
オットは1942年から選手兼監督として指揮をとっていたが、監督としての腕は微妙だったようで、最高順位も1942年の3位にとどまっている。




査定に関して
チャンスB
1929年は得点圏打率.408とチャンスにめちゃくちゃ強かった。
選球眼
オットは球界屈指の選球眼を誇り、1929年に選んだフォアボールはリーグ最多の113個。同年10月5日にはダブルヘッダー2試合で6四球というナ・リーグ記録を樹立している。
Nishiのこぼれ話
オットはジャイアンツのフランチャイズプレイヤーとしてキャリアを終えたため、ジャイアンツの盗塁以外の大体の球団記録トップ3にその名を連ねている。現在、球団の1位記録としては、通算打点(1860)、通算出塁数(4648)、シーズン打点(151)、実働22年というものがある模様。