ダン・クイゼンベリー

KC(1979-1988)-STL(1988-1989)-SF(1990)
通算成績 674登板 56勝46敗 防御率2.76 379奪三振 244セーブ fWAR14.5
獲得タイトル:最多セーブ5回
1983年 69登板 5勝3敗 防御率1.94 48奪三振 45セーブ fWAR2.7
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1980年から1985年までの6シーズンで5度のセーブ王に輝いたクローザーの草分け的存在のひとり。
クイゼンベリーはMLBデビュー当初こそはサイドスローだったが、1980年の開幕前にジム・フライ監督から当時のパイレーツのリリーフエース ケント・テカルヴィを参考にアンダースローに転向することを薦められ、サブマリン投法を習得。
このピッチングフォーム改造が功を奏し、クイゼンベリーはロイヤルズの絶対的クローザーに成長し、1983年には当時のMLB記録となるシーズン45セーブをマーク。84年も44セーブをマークし、クイゼンベリーはMLB史上初となる2年連続で40セーブをマークしたクローザーになった。
また、クイゼンベリーはタイトル獲得とはいかなかったが、1982年から4シーズン連続でサイ・ヤング賞投票でトップ3に入り、記者からも非常に評価されていたことがよく分かる。
クイゼンベリーは球速こそ130キロ台と当時のMLBでも相当に遅い部類であったが、サブマリン投法から繰り出されるシンカーでゴロアウトを誘発。
さらにキャリア通算の与四球率は1.40と精密機械と称賛されるほどの驚異的なコントロールを誇り、1982年からは3シーズン連続で与四球率0.84以下(83年に至っては0.71!)を記録。
ちなみにこの与四球1.40というのはライブボール時代以降に1000イニング以上を投げた投手の中ではMLB歴代1位の数字である。
クイゼンベリーはサンフランシスコ・ジャイアンツに加入した1990年に右肩の回旋筋を断裂し、そのまま現役を引退。引退時の244セーブという数字は当時のMLBにおける歴代5位の数字だった。
引退後は詩人として活動し、1998年には詩集も出版。しかし、同年クイゼンベリーは脳腫瘍に侵され、45歳の若さでこの世を去った。
クイゼンベリーは亡くなる直前にロイヤルズの球団殿堂入りを実現。アメリカ野球殿堂では初年度でリストから姿を消したが、全盛期の投球内容はブルース・スーターやローリー・フィンガーズといった殿堂入りクローザーと比べても遜色はなく、個人的には将来的にベテランズ枠で殿堂入りすべきひとりだと考えている。
球種はカーブ、ナックル、Hシンカー。
クイゼンベリーはチェンジアップも投げていたが、投球レパートリーに加わったのは1984年以降とのことで、今回はオミット。




査定に関して
回またぎ◯
当時のクローザーはファイヤーマンとして複数イニングを投げるのが当たり前。クイゼンベリーは1982年から4シーズン連続で129イニング以上を投げており、今回作成した1983年にはキャリアハイとなる139イニングを記録している。
Nishiのこぼれ話
クイゼンベリーはfWARとrWARの乖離が大きいメジャーリーガーのひとり。
防御率を重視するrWARでは通算で24.6、1983年にはrWAR5.5と先発投手級の数字を残しており、これは同年サイ・ヤング賞に輝いたラマー・ホイト(rWAR3.7)を上回る。もし、セイバー(WAR)の概念が当時存在していたら、サイ・ヤング賞に輝いたのはクイゼンベリーだったに違いない。