斎藤隆

横浜(1992-2005)-LAD(2006-2008)-BOS(2009)-ATL(2010)-MIL(2011)-ARI(2012)-楽天(2013-2015)
MLB通算成績 338登板 21勝15敗 防御率2.34 400奪三振 84セーブ 39ホールド fWAR8.2
獲得タイトル:特になし
2007年 63登板 2勝1敗 防御率1.40 78奪三振 39セーブ 1ホールド fWAR2.0
Sammy
36歳と“引退”のふた文字が頭をよぎってもおかしくはない年齢でMLBに挑戦し、そこからトップリリーバーとして大活躍した日本人メジャーリーガー。
斎藤は横浜ベイスターズ時代の2001年から大魔神佐々木の後釜としてクローザーに就任し、2年連続で20セーブ以上をマーク。しかし、先発に復帰した2003年以降はパッとせず、2005年も21登板で防御率3.82と微妙な成績。
オフには「最後はメジャーで投げたい」という夢を叶えるべく、マイナー契約でドジャースに加入すると、エリック・ガニエの故障もあり、4月7日にメジャーに昇格。
すると切れ味抜群のスライダーとノビのある速球を武器にトップリリーバーとして台頭し、5月からはクローザーに就任。最終的にチームトップの72登板、ドジャースの新人記録となる24セーブ、防御率2.04と圧巻の成績を叩き出し、オフにはサイ・ヤング賞投票で8位にランクインと大ブレイク。
続く2007年は、開幕からクローザーとして起用され、リーグ3位の39セーブをマーク。シーズンを通して安定感抜群のピッチングで、ナ・リーグのリリーバーとしてはトップとなる防御率1.40をマークした。
また、rWARでは3.5を叩き出し、これは日本人リリーバーとしては2013年の上原選手に並ぶトップの数字となっている。
斎藤はMLBのトレーニング方法がマッチしたことで、球速がドンドンUP!2007年は平均球速150キロ、6月26日のダイヤモンドバックス戦では自己最速を更新&当時の日本記録となる159キロをマークしている。
2008年は故障の影響で45登板に止まったが、それでも防御率2.49の好成績をマーク。オフにはFAとなり、レッドソックスに移籍した。
斎藤は40歳を迎えた2010年もブレーブスのセットアッパーとして56登板、防御率2.43、奪三振率11.5と大活躍。ブルワーズに加入した2011年7月20日にはメジャー通算300登板を達成している。
斎藤は2012年オフに楽天と1年契約で合意。開幕時点で43歳を迎えていたにも関わらず、速球の威力は健在で、シーズン終盤にはラズナーの代役としてクローザーに就任した。
斎藤は44歳で迎えた2014年も2年連続となる30登板をこなし、防御率も2.59とまさに衰え知らずの内容だった。
2015年に現役を引退してからは、パドレスのアドバイザーや、ヤクルト、横浜の投手コーチを歴任している。
斎藤のMLBでの通算防御率2.34は日本人メジャーリーガーの中では1位の記録。
また、筆者調べでは、斎藤の防御率はライブボール時代以降に300登板以上をこなしたリリーフ投手の中でもリベラ(2.21)、ワグナー(2.31)に次ぐ数字であり、実は歴代最強のリリーフ投手論争に入る余地を残していたりする。
球種はスライダー、カーブ、シンキングツーシーム。
2007年のスライダーの被打率は一部の試合のデータが欠けているものの、.173と絶対的な決め球として機能していた。



査定に関して
ノビB
2007年のフォーシームの被打率は、スライダーと同じく一部の試合データが欠けているものの、.118と圧巻の内容。
ノビAでも良かったかも。
奪三振
2007年の奪三振率は驚異の10.91。
斎藤はメジャーデビューから3シーズン連続で奪三振率10点台を叩き出しており、キャリアハイはルーキーイヤーの12.29。
逃げ球
横浜時代に2度もリーグ最多の被本塁打を記録するなど、一発病の印象が強い斎藤だが、MLBでは通算の被本塁打率0.67、2007年も0.7と打球管理に優れていた。