フランク・タナナ

CAL(1973-1980)-BOS(1981)-TEX(1982-1985)-DET(1985-1992)-NYM(1993)-NYY(1993)
通算成績 638登板 240勝236敗 防御率3.66 2773奪三振 1セーブ fWAR58.5
獲得タイトル:最優秀防御率1回、最多奪三振1回
1976年 34登板 19勝10敗 防御率2.43 261奪三振 fWAR6.0
タナナとライアン 涙の二日間
本格派から技巧派に転向し、21年のキャリアで240勝をマークしたサウスポー。
カリフォルニア・エンゼルス時代のタナナは100マイル(160キロ)の豪速球と鋭く曲がるカーブを武器に、同じく速球派右腕のノーラン・ライアンとダブルエースとして大活躍。
タナナはルーキーイヤーの1974年に14勝、防御率3.12の好成績を残し、いきなりライアンに次ぐ先発2番手のポジションを確立。
1975年6月21日のレンジャーズ戦でア・リーグのサウスポーとしては当時の最多記録となる17奪三振をマーク。シーズンを通してもリーグトップの269奪三振をマークし、ライアンとタナナの剛腕奪三振コンビは対戦チームから「タナナとライアン 涙の2日間」と恐れられた。
1976年にはリーグ4位の19勝、リーグ3位の防御率2.43、リーグ2位の261奪三振、リーグ2位タイの23完投と主要な投手成績で軒並みリーグトップ3に入り、サイ・ヤング賞投票でもパーマーとフィドリッチに次ぐ3位にランクインした。
1977年にはリーグトップの防御率2.54、リーグ3位の205奪三振と大活躍していたが、翌年以降は速球のスピードが大幅に落ち、スクリューやフォークといった変化球をメインに据える技巧派にモデルチェンジ。
このモデルチェンジ以降、タナナの球速は80マイル台(130キロ台)にまで落ちたと言われているが、変化球で的を絞らせないピッチングで試合をしっかりつくり、1984年から6シーズン連続で二桁勝利を挙げている。
タナナは1990年4月28日のブルワーズ戦で通算200勝のマイルストーンに到達し、最終的に240勝にまで勝ち星を伸ばした。
タナナはMLBのサウスポーの中でも屈指の成績を残していたにも関わらず、殿堂入り投票では1票も入らず、落選。おそらく、技巧派としての期間が長く、記者からのイメージが微妙だったことと、当時の殿堂入りラインが300勝付近に置かれており、そこに届かなかったことがマイナス要因だと考えられる。
なお、タナナの通算WARはfWAR58.5/rWAR57.1と非常に高く、今後ベテランズ委員会枠で殿堂入りを果たす可能性は十分にあり得る。
球種はパワーカーブ、スラーブ、チェンジアップ。




査定に関して
コントロールB
タナナは通算の与四球率が2.70と本格派でありながら、コントロールも優秀なピッチャー。1976年も与四球2.28と四球で自滅するノーラン・ライアンとは対照的な投球内容だった。
関連選手:ノーラン・ライアン