ウィルバー・ウッド

BOS(1961-1964)-PIT(1964-1965)-CWS(1967-1978)
通算成績 651登板 164勝156敗 防御率3.24 1411奪三振 57セーブ fWAR36.9
獲得タイトル:最多勝利2回
1972年 49登板 24勝17敗 防御率2.51 193奪三振 fWAR6.1
Wilbah
MLBでも極めて珍しい左のナックルボーラー。
MLBデビュー当初はカーブを武器にするピッチャーだったが、MLBで生き残るためにホワイトソックス時代に元祖フルタイムのナックルボーラーことホイト・ウィルヘルムに弟子入りし、ナックルをマスター。
1967年にリリーフに転向すると、1968年からは実質的なクローザーとして3シーズン連続リーグ最多登板を記録。特に1968年には当時のMLB記録となる88登板とほぼ2試合に1回のペースでマウンドに上がっていた。
1971年からは先発に転向。当時の監督ジョニー・セインは「ナックルボールは疲れないから中2日でマウンドに送り出せる!」という謎理論をふりかざし、ウッドは同年から5シーズン連続で42先発以上、1972年からは4シーズン連続でリーグ最多登板と先発でもフル回転。
先発転向1年目の1971年にはリーグ3位の22勝、リーグ2位の防御率1.91、リーグ5位の210奪三振、リーグ2位の334イニングと主要部門で軒並みトップ5に入り、オフにはサイ・ヤング賞投票で3位にランクイン。
また、この年に記録したrWAR11.8は当然リーグトップの数字であり、ライブボール時代以降にプレーした投手としてはドワイト・グッデン(12.2)、スティーブ・カールトン(12.1)、ロジャー・クレメンス(11.9)に次ぐ歴代4位の好成績である。
ウッドは翌年から2シーズン連続でリーグ最多の24勝をマーク。1972年にはライブボール時代以降にプレーした投手の中では歴代最多となる376.2イニングを投げ抜き、サイ・ヤング賞投票ではゲイロード・ペリーに次ぐ2位に輝いている。
ウッドは全盛期の71年から74年までの5シーズンで90勝をマークしており、これはこの期間に投げたどの投手よりも多い勝ち星だった。
全盛期の勢いこそは頭一つ抜けていたウッドであったが、晩年は膝の故障に苦しみ、通算成績はそれほど伸びず。そのため殿堂入りは叶わなかった。
球種はカーブ、ナックル。
ウッドは投球の約8割がナックルで、残り2割はカーブやアクセントを効かせるためのフォーシーム。
査定に関して
コントロールA
ウッドはナックルボーラーでありながら、コントロールに優れ、1972年の与四球率はわずか1.77だった。



