デビッド・コーン

KC(1986)-NYM(1987-1992)-TOR(1992)-KC(1993-1994)-TOR(1995)-NYY(1996-2000)-BOS(2001)-NYM(2003)
通算成績 450登板 194勝126敗 防御率3.46 2668奪三振 1セーブ fWAR56.0
獲得タイトル:サイ・ヤング賞1回、最多勝利1回、最多奪三振2回
1998年 31登板 20勝7敗 防御率3.55 209奪三振 fWAR5.1
ニューヨークのドクターK
4つの球種をそれぞれ異なるアームアングルで投げ分け、事実上8球種で打者のリズムを崩したドクターK。
コーンはメジャー3年目の1988年に20勝3敗、防御率2.22、サイ・ヤング賞投票では3位と大ブレイク。
メッツ時代はドワイト・グッデンと共にドクターKコンビとして三振を奪いまくり、1990年からは2シーズン連続で奪三振王のタイトルを獲得。1991年10月6日のフィリーズ戦では当時のナ・リーグ記録に並ぶ1試合19奪三振を記録。
また、1992年にはキャリアハイの261奪三振を記録。この数字は同年にプレーしたどの投手よりも多かったが、シーズン途中にア・リーグのブルージェイズに移籍したため、3シーズン連続でのタイトル獲得とはいかなかった。
1993年からは当時の投手としては最高額となる3年1800万ドルのオファーを受け、古巣ロイヤルズに復帰。ロイヤルズ2年目の1994年には16勝、防御率2.91、5月には3試合連続完封と大活躍し、サイ・ヤング賞にも輝いた。
コーンは1996年からヤンキースでプレー。この頃のコーンは長年の酷使の影響で速球のスピードがダウンしており、多彩な変化球でタイミングをずらす技巧派にモデルチェンジ。
それでも三振を奪う力は衰えず、1997年にはリーグ3位の222奪三振を記録。この年の奪三振率10.2は当時のヤンキースの球団記録を更新する高さであった。
また、1998年には打線の援護にも恵まれ、11シーズンぶりとなる20勝をマークし、最多勝利のタイトルを獲得。ポストシーズンでも2勝、防御率2.92の好成績を残し、ヤンキースの世界一にも貢献した。
1999年7月18日のモントリオール・エクスポズ戦ではMLB史上16人目となる完全試合を達成。同年は12勝、防御率3.44の好成績を残し、オフにはヤンキースと再契約。
しかし、この頃には速球のスピードが140キロ前半にまで落ちており、2000年は防御率6.91と大炎上。200勝まであと6勝に迫っていたが、2003年に股関節の故障で現役を退いた。
コーンは勝利数こそは200勝に届かなかったが、WARではfWAR56.0/rWAR62.3と極めて優秀。また、通算2668奪三振は歴代27位(現役引退時点では18位)の数字であり、セイバー的観点で見ると同時代にプレーした投手の中でもクレメンスやマダックスに次ぐ好投手であったと考えられている。
球種はスライダー、カットボール、ドロップカーブ、SFF。
コーンのスライダーは横変化が非常に大きく、当時は“ラレド”と呼ばれていた。このボールは現在であればスイーパーに分類されていたと思われる。


