マイク・スコット

NYM(1979-1982)-HOU(1983-1991)
通算成績 347登板 124勝108敗 防御率3.54 1469奪三振 3セーブ fWAR28.6
獲得タイトル:サイ・ヤング賞1回、最多勝利1回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回
1986年 37登板 18勝10敗 防御率2.22 306奪三振 fWAR8.6
スプリッター旋風を巻き起こしたアストロズのエース
「最高のスプリッター(SFF)の使い手は誰?」という論争でブルース・スーターンと共に名前が必ず上がる本格派右腕。
メッツからアストロズ時代初期のスコットは150キロを超える速球とスライダー、カーブを交える、いわゆるふつうのピッチャー。
そのため1984年も防御率4.68とふるわなかったが、オフにジャック・モリスにスプリットを伝授したことで知られるタイガースの投手コーチ、ロジャー・クレイグ氏に弟子入りし、スプリッターの投げ方をマスター。
スコットはスプリットをレパートリーに加えた1985年に18勝、防御率3.29とブレイクし、一つでの球種の習得で野球人生そのものが大きく変わったメジャーリーガーの1人となった。
ブレイクイヤーの翌年、1986年にはリーグ1位の防御率2.22、306奪三振で投手2冠に輝き、アストロズの選手としては史上初となるサイ・ヤング賞のタイトルを獲得。9月25日のジャイアンツ戦ではキャリア初のノーヒットノーランを達成し、この試合で地区優勝も決めるという劇的なピッチングを披露した。
スコットは85年から5シーズン連続で14勝以上とアストロズのエースとして君臨。1989年にはリーグ最多の20勝を記録し、サイ・ヤング賞投票でも2位に選ばれる大活躍。
しかし、1991年は故障の影響でわずか2登板にとどまり、同年をもって現役を退いた。スコットの背番号33は現在、アストロズの永久欠番に指定されている。
球種はスライダー、カーブ、SFF。



査定に関して
驚異の切れ味
スコットのスプリッターはあまりの変化から対戦相手に「ボールをやすりなどで傷をつけているのでは?」と猛烈な疑惑をかけられており、本人は肯定も否定もしなかった。
Nishiのこぼれ話
スコットの影響で、マイナーな球種であったスプリッターは一気に日の目を浴び、追随する形でスプリットを投げるピッチャーが急増。
しかし、スコットを含め、スプリットを多投した投手が相次いで故障したため、MLBでは「スプリッターは肘への負担が大きい危険なボール」という認識が広まり、ブームは急速に冷え込んだ。
なお、スコットは1986年オフに日米野球で来日しており、そこでNPBにもスプリットが広まり、桑田をはじめ多くのエースがこぞってスプリットを武器にするようになった。