シーザー・セデーニョ

HOU(1970-1981)-CIN(1982-1985)-STL(1985)-LAD(1986)
通算成績 2006試合 .285 2087安打 199本塁打 976打点 550盗塁 fWAR49.8
獲得タイトル:ゴールドグラブ賞5回
1972年 139試合 .320 179安打 22本塁打 82打点 55盗塁 fWAR7.8
ネクスト・メイズ
ウィリー・メイズの再来と謳われた5ツールプレイヤー。
セデーニョは1970年に19歳でメジャーデビュー。メジャー3年目の1972年からはMLB史上初となる3シーズン連続で20本塁打・50盗塁をクリアという偉業を成し遂げた。
また、セデーニョは同年から6年連続50盗塁と球界トップクラスのスピードを誇り、1977年にはアストロズの球団記録となるシーズン61盗塁をマークしている。
驚異的なスピードに加え、セデーニョはロベルト・クレメンテ級の強肩の持ち主。トータルゾーンこそは平均レベルだったが、イメージ補正でゴールドグラブ賞にも5年連続で輝いている。
セデーニョは26歳の誕生日を迎えるまでに1097安打を記録。これは当時のMLB13位のスピードで、ロジャース・ホーンスビーやミッキー・マントルを上回るペース。3000本安打も視野に入る勢いだったが、故障の影響でピークは続かず、2000本安打を達成した翌年の1986年に35歳の若さで現役を退いた。
セデーニョは通算487盗塁というアストロズのフランチャイズレコードを現在も保持。また、1972年にはアストロズの選手としては初となるサイクルヒットを達成している。
このようにアストロズの球団史を代表する選手であったことは間違いなく、2020年にはアストロズの球団殿堂入りを果たしている。




査定に関して
盗塁E
セデーニョは1972年に55盗塁をマークした一方で、リーグワーストの21盗塁死と成功率は72%にとどまっている。赤星式盗塁ではわずか13盗塁と貢献度はそれほど高くなかった模様。
広角打法・ラインドライブ
マイナー時代からセデーニョはあらゆる方向に強いライナー性の打球を飛ばせると高評価されていた。
Nishiのこぼれ話
セデーニョは実績だけ見れば、1970年代最高のセンターとも言えるが、私生活は最悪。
2年連続で打率.320、20本塁打・50盗塁と世代No.1選手になりかけていた1973年オフに恋人を拳銃で射殺するという大罪を犯し、地元警察に収監。
その後、セデーニョ側が「恋人がセデーニョの持っていた銃を取ろうと、揉み合いになった際、暴発した」と主張。最終的に裁判所はわずか100ドルの罰金という寛大すぎる判決を下し、セデーニョはお咎めなしで釈放された。
当然MLBファンはその判決に猛抗議。試合中は、「キラー」とやじを飛ばされ、ホテルには脅迫状が届くなど、ブーイングは最後まで絶えなかったと言われている。